【IDEAストーリー】第19回:ガクセン(一握りの優秀な学生だけを検索できる「新卒逆求人サイト」)

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MATSUMOTO
こんにちは。イデア・クリエイションの松本泰二です。
IDEAストーリー

起業家のストーリーを追体験してもらおうという無料のインタビューサイトです。

このサイトでは、これから起業に興味のある方に向けて、成長のサービスを展開されている方、面白いサービス、商品を出されている方、各分野の実績を出されている専門家の方々にインタビューということで、各スペシャリストの方にお話を伺ってしまおうというような内容で、毎週お届けしています。

 

本日のIDEAストーリー。ゲストは、ニューインデックス株式会社 代表取締役社長 津田武さんです。津田さん、宜しくお願いします。

津田社長
宜しくお願いします。

 

会社名の由来を教えて下さい。

津田社長
創業した当時に、6,000通りくらいの名前をいろいろ考えていまして、いろんなエクセルでパターンを組み合わせてやっていたんですけども、最終的に、ニューインデックスになったのは、我々、ホームページ・ウェブを作る会社として立ち上げたんですね。

ウェブというと、2008年くらいというのは、グーグルがかなりインターネット業界でも大きく成長していて、グーグルの理念というのが、世の中に溢れている情報というのを、インデックス化していくということで、整理するということをですね、掲げていたんですね。

 

我々もインターネットという、私は大学時代からずっとウェブが大好きで、いろんなことを活動してきたんですけども、創業したときに、グーグルがまとめた情報を見たときに、まだまだ全然インデックス化されていないんじゃないかって、情報が氾濫しすぎていて、検索はできるんだけども、なかなか検索がしやすいような形じゃなかったりとか、そもそも検索されるべき情報はないということを思っていたんですね。

我々はどっちかと言うと、そのインデックスを、ニューインデックスですから、ニューという文字がついていますけども、インデックス化させるための情報をたくさん作っていって、グーグルがインデックス化しやすいというような会社を目指そうというのが、初期の理念としてあってですね。そういったところが会社の名前の由来になります。

 

現在どういった事業をされているのか自己紹介をお願いします。

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津田社長
我々、ニューインデックスという会社は、ウェブを制作する会社。一言で言うと、ホームページを制作する会社と言ってしまってもいいかなと思うんですけれども、何が普通のホームページを作る会社と違うかと言うと、こんなのあったらいいなっていうのを、ITで実現する会社として、これを使命として掲げているんですね。

ホームページを見ていただくと、「あったらいいな」を「あってよかった」に!というメッセージを書いていますけれども、ここを理念として、いろんな単に企業さんからホームページを作るということを受託開発やっているわけではなくて、我々の自社でいろんなメディアで世の中の人たちが、こういうメディアあったら助かるよねとか、絶対いいよねと思えるようなサイトをいろいろ考えて、業種業界問わず作っていると。そういったところが、ちょっと他とか少し違うかなと。

 

今までもいろんなメディアを開発してきまして、その辺は後で詳細を話していくと思いますけど、そういったところが、かなりユニークなサイトを作り続けているんじゃないかなとは思っています。そこから得た知識ノウハウですね、お客さんもですね、受託開発で我々はクライアントさん何社もいますけど、やっぱり我々に投資をしていただくわけなんですね。ホームページ作ってくださいと。

そこに何かしらの目的とか願いみたいなのがあって、でも、普通のホームページ屋さんって、言ったことはやるんだけども、自ら提案して動くとか、そういった小回りが利いたことをやってくれるところって、なかなか数って限られてくるんですよね。

 

我々はお客さんが多額の投資を我々にしていただくということであれば、我々もお客さんの気持ちを知ったほうがいいなということがあって、それがあったので、いろんなメディアを身銭を切って、自分たちでチャレンジして作っているというのが実態としてあるんですね。

そこで得た、さっきのノウハウとか、知識というのは、実は、今度、クライアントさんのところに情報として展開ができるので、そういったところが普通の動きとは若干違ってくるかなと思います。

 

松本
クライアントから、こうしてくださいって依頼が来ても、例えば、御社側で、このメディアは、こういうふうにしたほうがいいんだよって、もしあるんであれば、それを提案する。
津田社長
そうですね。確実にそれは提案して。だいたいですね、お客さん、いろんなお客さんがいらっしゃいますけども、よくあるのがですね、ホームページをリニューアルしたいんだと、なんでそのリニューアルしたいんですかと聞くと、問い合わせを増やしたいとおっしゃるお客さんが8割、9割なんですね。

そのなかで、SEOもやってほしいとかですね、というご依頼もあって、じゃあ、なんでSEOやりたいんですかと聞くと、問い合わせを増やすためにアクセスも増やしたいからだとおっしゃるんですよね。でも、リニューアルしようと思っている、構想そのものが、ホームページのデザインをかっこ良くするというものだったりとか、お客さん考えているのは、そういうことだったりする場合が多くてですね。

 

そこで我々は、その投資はやめましょうという話をするんですね。かっこ良さを、もうちょっと見栄えを良くしたいんだったらやりますよと、だけど、中身が充実していないと、形を変えたところで、そこにSEOかけたとしても、ザルに水を注ぐようなものなんですよね。

なので、我々はそのザルを受け皿にちゃんとできるようなメディア、一つの要は、会社のホームページだけじゃなくて、例えば、会社として情報発信する。例えば、二つ目のサイト、いわゆる、メディアを作って、そこから集客をしませんかと、そのメディアとなるのが、「あったらいいな」を「あってよかった」に!ってできるようなメディアじゃないと我々は作らないということですね。

 

松本
コンテンツの中身がしっかりしていないのに、デザインだけみたいな。
津田社長
そう、そう、そういうのが多くて、それって今まで、そういうウェブ会社というのが、そういうので受けてきたケースというのが、多分多いんだと思うんですよね。

だから、お客さんのなかでも、そういったウェブを変えれば、なんか上がる、売り上げが上がるんじゃないかと思われるんですけど、やっぱりウェブ会社も、スーパーマンじゃないので、それを変えて、ひとたび変えることによって、すごく売り上げが上がりますよって言いたくても、なかなか実際としては難しいんですよね。

 

オープン初日に数万のアクセスでパンク!

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松本
自社メディアもありますか?
津田社長
いくつかあるんですけれども、一つ目が、モバイルデザインアーカイブというサイトです。こちらがですね、なんでこれを作ったのかということなんですけれども、当初、2008年に創業したときにですね、会社のホームページを作ってくださいというご依頼とともに、携帯サイトも作ってほしいという依頼があったんですね。

 

私、やっぱり仕事欲しさに、「分かりました。やります」って言うわけですよ。受注をいただいてくるわけですけども、パソコンのホームページは大学時代から、それこそ作っていた実績があるので、それは特に問題なかったんですけど、携帯サイトって作ったことがないなと、作る前にどうやって、まずデザインしたらいいのかなっていうのが分からなくてですね。本屋に行ったんですね。

本屋に行くと、例えば、建築士の方であれば、建築デザインみたいな、例えば、本があって、それを見ると、いろんな建築の実績、実例集みたいなのが載っていて、そういったのを、いろいろ自分のなかに、頭のなかに、引き出しのなかに蓄えていって、自身の例えば、工法に活かすとか、建築に活かすということをやっている方って非常に多くいると思うんですね。

 

それとウェブを制作するのも同じで、例えば、パソコンのホームページだったら、トップページの見栄えのいいデザインを持っているホームページを集めたような雑誌があったりとか本があって、それを見て、デザイナーというのは日々、自分のデザインの幅を広げたりってしていると思うんですね。

 

携帯サイトも、そういう本があるだろうなと思っていたんです。そしたら、1冊も売っていなくて、その当時。2009年だったと思いますけども、じゃあ、同じようにホームページ、そういうウェブで検索して、そういった実例集がアップされているようなサイトってあるだろうなと、パソコンのサイトっていっぱいあるんですね。

検索したら、1件もなかったんです。だったら、自分で作っちゃおうと思って、作ったのが、モバイルデザインアーカイブと言いまして、これはガラケーのサイトなので、もう古いサイトになりますので、更新は全然やっていないですけども、自分でですね、それこそ、あの当時、ヤフーのインデックスをたどっていってですね。

 

おそらく、20万サイトくらい見に行きました。100サイトに1サイト、いいデザインやサイトがあると、そのキャプチャを取って、このモバイルデザインアーカイブ上に、どんどんどんどん貼り付けて、保存していくということですね。

 

松本
地味に手動で。
津田社長
手動でやりました。初期にだいたい300から500サイトくらい集めて、オープンしたところですね。その初日にですね、パンクしたんですね。サーバー。

数万の数万人のアクセスがありまして、私自身もサイトにアクセスできないという状態になりまして、これがですね、なんでかと言うと、はてなブックマークって、以前、当時にありましたけれども、それでホットエントリーで、ずっとナンバーワンに1番目のサイトとして、1週間くらいランクインしていたというのもあって。

 

でも、やったことはですね、友達30人くらいに、こんなサイト立ち上げたから見てと言ったのと、あとは、無料のプレスを1件打っただけだったんですね。やっぱり、そういったサイトが今までなかったということもあって、ニーズとして、多分、デザイン会社とか、あとは広告、大手も含めた広告会社さんですね。

 

例えば、ナショナルクライアントに、携帯サイト、新しく提案する広告会社が、こういったサイト、例えば、じゃあそれが、車会社だとして、トヨタだったりしたときに、トヨタのサイトがこういうサイトがあるので、じゃあ、日産さん、こういったサイト作りませんかと、多分、携帯サイト、その場でモバイル見せながら提案していた時代があったと思うんですね。

それがこれを見たときに全ての業種業界のオシャレなデザインが全部総覧できるというのが利点としてあって、おそらく、こういうのが、そういう業界から求められたというのがあると思いますね。

 

松本
どれくらいあるんですか?
津田社長
今、2,000を超えるくらいかなと思いますね。ここからの進展がありまして、起業家の方、起業家になりたい方向けとお聞きしていますから、あえて申し上げますと、何をやればいいのか分からないと思ったときに、身近なことでもいいから、困ったら自分で作るというのが意外とビジネスチャンスになるのかなと。

それは自分が欲しいと思っているものって、実は自分以外の他の人も欲しいと思っていたりするんですよね。そういうのを今のところないんだよなって思ったものっていうのが、実はビジネスアイデアになったりするかもしれないなと。

 

もう一つ言えるのが、我々、ウェブ業界としてやっていますので、ウェブを作るということが基本になるんですけども、メディア、ウェブとリアルを融合させることに成功したんじゃないのかなと思っていまして。

どういうことかと言うと、当初、私は本屋に行ったけど、1冊も本がなかったって申し上げたと思うんですね。じゃあ、デザイナーって、いつも、今だとスマホありますけど、まだまだスマホが普及する前だったので、電車のなかでデザインの勉強ができたらいいなと思って、それを本に書籍化すると、会社の帰りに本を見ながら、帰るとかできるなと思って、出版社、ドアノック営業してですね、本作りませんかみたいな話をしたんですね。

 

松本
飛び込みですか?
津田社長
飛び込みです。したら、1社目か、2社目くらいで、じゃあ、やろうかということで、そこで出版させてもらったんですね。そこで本を2冊、あとは、インプレス系列の出版社の方から、執筆のご依頼があって、3冊目の本を2010年ですけども、出しました。

 

松本
出版は飛び込みなんですね?
津田社長
最初はそうですね。あとは、インプレスは向こうからのご依頼があったんですね。どういう本かと言うと、ほんとに画面のキャプチャと、それに対する、私のコメントを書いて、ずっと並べているようなサイトですね。

ほんとマニアックなので、今もう廃版になっているくらいなので、ほんとにニッチな世界ですけども、ただ、その流れでですね、東京IT新聞という新聞がありまして、そこからの連載のご依頼がきたりだとか。

 

ずっと5、6年くらい連載をしていたんですけども.あとは、ウェブ関連の雑誌社さんからの執筆の依頼があったりとか、いろんなお声がかかるようになりまして。

例えば、イベントなんか、講演会やりますよってやると、2、300人くらいの方が集まったりだとか、あとは、ネット上から見れますよね。動画とか、講演内容しているような、そういったところでの集客も含めて、1,000人弱の人が見にきてくれたりとか、そういったところでリアルに展開できたなと、リアルのなかで、クチコミで知った人が、またウェブのほうにアクセスをして、ユーザーとして流れてくるというような形が作れると。

 

携帯サイトのキーワードで、大手サイトをおさえて1位!

松本
「携帯サイト」で検索すると出てきますか?
津田社長
そうですね。今はもう更新していないので、多分1位にはなっていないと思いますね。1ページ目にあるかどうかさえも、ちょっと見ていないですけど。

 

松本
でも、携帯サイトって検索する人っているんですかね?
津田社長
いないですね。今は。これはこのときの話なので、2009年、10年の話ですね。ただ、携帯サイトって検索したときに、1位になったというのは、6,000万か、8,000万のうちの1位だったんですね。2位がウィキペディアで、3位がドコモで、4位がディズニーで、5位がソフトバンクで、6位がau。

 

松本
めっちゃ強いじゃないですか。
津田社長
それで1位なんですね。でも、SEO対策って、何一つやっていないんですよ。なんでここまでなるのかっていくと、やっぱりサイトのなかの作り方によってくるんですね。これが先ほど申し上げたところで、要は、こういうふうにユーザーというか、顧客になるような予備軍の方々というのは、ユーザーとして流れてくるわけですね。

 

例えば、我々が携帯サイトを作る事業をやっていたりとかすると、ここに見に来られるユーザーというのは広告会社だったりとか、それこそウェブ制作をやっているような会社だったりするので、じゃあ、ここの管理人として、仕事を引き受けることできますよと言うと、自分に対してブランディングができるわけですね。サイトがあることによって。

それで、どこの馬の骨かも分からないという状態から、モバイルデザインアーカイブの管理者の方ですねという話になるので、それで仕事が発注をいただきやすくなるという。これはある種、間接的なマネタイズというふうに呼んでやっていますけれども。

 

松本
それが起業してからの初めての事業ってことですか?
津田社長
外に出したメディアとしては、一つ目ですね。それまではずっと受託開発をやっていましたので。

 

高校時代偏差値15の、440人中440番の落ちこぼれ!

松本
若い頃の津田さんのストーリーもお伺いできればなと思うんですけども。
津田社長
元々ですね、会社を創業しようと思ったのは、中学生のときなんですよね。

 

松本
中学生ですか?  
津田社長
13歳のとき。私の父がですね、私は小学生のときに会社創業したんですね。もともと父親もすごく変わった経歴の持ち主でして、最初、ほんとに長崎県のほんとに小さな島で生まれ育って、大人になると自衛隊に入って、自衛隊辞めたあとにケーキ職人になって、それを辞めたあとにですね、いきなりソフトウェア会社を立ち上げたんですね。

 

松本
ケーキ職人から。
津田社長
はい。

 

松本
全然違う。
津田社長
道を辿っていってですね。土木積算システムのパッケージ販売をする会社を立ち上げたんですけども、この会社は私が大学生くらいになったときに上場をしたんですけれども、そんな父がですね、私は中学生のときに、会社を作るのが一番楽しい仕事だよというのを、一言ぼそっと教えてくれたんですね。

 

松本
言われたんですね。
津田社長
はい。それで、じゃあ、自分も将来、創業したいなと。やっぱり父の会社というのは、兄がいるので、兄が引き継いでやっていくと思っていましたので。家族はみんな三重県に、もともと地元が三重県なので、三重県に住んでいますけども、私は東京に残って、自分でお金を貯めて、創業しようと思って、創業しました。

ただですね、ほんとに高校時代というのは落ちこぼれで、ほんとに順位、学校で例えば、実力テストをやると、ほんとに順位がビリ。440人、学年で、1学年でいまして、そのときに440番だったんですね。

 

松本
一番びりっけつですよね。
津田社長
びりっけつです。約分すると1位になるんですね。

 

松本
それは、勉強していなかったんですか?
津田社長
していたんですけども、結構真面目にしているときはしていたんですけども、それでも取れなかったというのがあって。成績も10段階中1ばかりで、偏差値が15しかなかったですね。

 

松本
15?
津田社長
はい。

 

松本
15って、なんか想像つかないですね
津田社長
どうやって15って取るんですかって聞かれるんですけど、だいたい平均点が80点、90点のテストで、一人だけ0点を取って。

 

松本
それ勉強していなかったんじゃないですか(笑)
津田社長
そういうときもあったかもしれないですけどね(笑)。追試で0点、追追試で0点取ると、もれなく、15くらいになるんですね。でも、私もともと三重県の片田舎で生まれていたわけなので、東京に行きたいと思ったわけですね。

すごく都会に憧れて、東京に行こうと決心したのが、高校2年生か、3年生かなというくらいですけど、東京に行くんだったら、やっぱりある程度、今で言うと、MARCHくらいのレベルの大学に行きたいなと思って、でも、自分の偏差値は15なわけですよね。そういったところの大学って、偏差値60くらいなので、45足りないわけなんですよ。

 

どうしたかと言うと、高3の秋口くらいに、あと半年しかないという状況でしたけども、ほんとに鬼のように勉強しまして、1日16時間くらい勉強しました。

赤本ってありますよね、あれをですね、300回やって、この大学の試験は、試験管よりも誰よりも僕が一番知っているんだというような妙な自信をつけてですね、大学の校舎を歩いているところを、自分でイメージ、想像しながらですね、ずっと毎日、マインドコントロールみたいなことを自分でやって、受験に臨んだんですね。

 

そしたら、なんとか法政大学だけ、他は全部全滅でしたけど、滑り止めの大学なんかも落ちたりなんかもして、多分まぐれで法政大学に受かったんですね。それで行くことになったんです。

 

松本
半年しか勉強していなくて。
津田社長
半年です。相当集中して、ほんとに3教科だけに絞ったような感じで、もし、そのMARCH以上の大学に行けなかったら、自殺しようかなと思ったんです。ほんとに。浪人なんてしたくないし、落ちたら、死ぬっていうふうに決めて。

 

松本
そこの段階で、よく言われる、成功の哲学的なことを、もしかしてやっていたかもしれないですよね。三つに絞って。思考もイメージ化してみたいな。
津田社長
そうですね。先生の言うことを聞かない。先生はもう、「お前、やめておけ、そんなところは」って、絶対言うので、自分で自信をつけるしかなかったですね。

 

3ヶ月寝ずに作業し、国内で3本の指に入るリンク集に成長!

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松本
それで大学に行って。
津田社長
そうですね。大学に行って、1997年大学1年生のときでしたけれども、初めてインターネットに触れたんです。これはどういう時代だったかというと、二つ上の兄がですね、リクナビ第一世代だったんですね。確か。

インターネットで、就職活動するということで、正月だったかに、実家に帰ったときに、兄がパソコンを持ってきたんですね。インターネットというのをやっていたときに、ちょっとそれをどういう感じなのかって見せてもらったときに、すごい衝撃が走ったんですよね。自分のなかで。

 

インターネットって面白いなと思って。翌日には、親のすねをかじってですね、パソコンとインターネットできる環境を、東京のワンルームマンションにすぐに用意をしてほしいんだけどどうと、お願いしたいんですよね。

1日ですね、学校も行かずに、自殺する思いまでして、合格した学校にですね、全然行かずに、ずっと引きこもりで、1日17、8時間くらい、ネット接続をしていた。

 

松本
はまっちゃったんですね。
津田社長
はまっちゃったんですね。

 

松本
何やっていたんですか?
津田社長
よく聞かれるんですけど、だいたい半分はネットでマージャンができると、知らない人たちと、これがまたすごく衝撃が走って、これは面白い世界だなというのと、あと半分は世の中に、こんなに面白い情報を持っている人たちがたくさんいるんだなと思って。

 

今だと、SNS、例えば、フェイスブックとか、ブログとかというのはありますけれども、その当時ってなかったんですね。各々、それぞれ、各個人個人がですね、自分でホームページビルダーとか買ってきて、自分の趣味のサイトを自分でデザインしたいように作っていたんですね。

そのなかには、いろんな情報があって、ほんと変わった人っているんだなと思って。例えば、道歩いていたら、マンホールってあるじゃないですか。そのマンホールって、各市区町村によって、デザインが違うんですね。

 

松本
そうなんですね。
津田社長
そうなんですよ。それをですね、各市区町村歩いて、1個1個写真を撮ってアップしている人とか。マンホールマニア。

 

松本
マンホール女子っていますよね。
津田社長
いるんですか。多分そういう流れだと思いますけど、5,000枚くらい、町にあるガスタンクみたいなものを写真で撮ってアップしている人とか。爆弾の作り方をどうやって作るのかアップしている人とか。変な情報がたくさんあるなと、世の中には。

それを全部このサイト面白いなと思ったサイトをですね、ピックアップしていって、これサイトに全部集約して、紹介していったら面白いだろうなって思ったんですよね。いわゆる、リンク集というのを作ったんです。

 

これが、7,000サイトを自分で全部コメントをつけて、アップをして、何がこのサイトの面白いところなのかっていうのを全部書いてですね、一つ、だいたい300文字くらいで、7,000サイト用意したので、ほとんど、それで大学行っていなかったというのもあるんですけど。相当それがですね、自分のなかではまっていたことですね。

大学3年生くらいのときに立ち上げたんですけど、その前って、テレホーダイというのが出たか、出ていないくらいだったので、1日17時間もインターネットやっていると、ほんとすごい電話代の請求書が届いて、アパート代よりも高いんですよ。電話代の請求書が届いたことがあって。

 

松本
ADSLとかはまだ?
津田社長
まだ入っていないですね。

 

松本
ダイアルアップとか。
津田社長
ダイアルアップですね。ほんと10万円くらいの請求書が届いたりとかして、実家の両親が何やってんのみたいに怒られてとかですね、いろいろありましたけど。そのサイトを作ったのが、一つのきっかけだったんですね。

 

松本
7,000件はどのくらい時間かかったんですか?
津田社長
まず、アップしたのが、3,000件だったんですよね。それで、3ヶ月、ほぼ寝ずにというか、ネットばかりやって作りまして、その後はずっと2、3年くらい更新をし続けたので、毎日10サイトから、20サイト、更新していくという感じ。

 

松本
それはビジネスにしていこうみたいなのがあってみたいな。
津田社長
全くなかったですね。

 

松本
単純に面白かったんですね。
津田社長
そうなんです。それで作っていたときに、国内で多分、3本の指に入るくらいのリンク集に成長していって、自分がこれ絶対あったら面白いだろうなと思って作ったのがきっかけだったんですけど、1日だいたい1万人くらいのアクセスがその当時にあったので。

後日談としてはですね、この後、留学をするんですね。アメリカに留学をしたんですけれども、そうなると、勉強で忙しくなるからということで、更新はしなかったんですね。ほったらかしにして、最後の最後に広告をペタっと貼って、海外に行ったんです。

 

そしたらですね、あの時代って、まだ広告が完全に飽和していない状態のときだったんですけど、だいたいこの1年間くらいで、そういう時代の流れとともに、衰退はしていったんですけど。

最初、留学して、ネットでネットバンキングというか、口座を見たときにですね。いきなり5万円入ってきたんですね。なんだろう、この5万円と思って、広告かと思って、ラッキーと思ったんですね。次の日8万円入っていたんですよ。

 

何もしなくても、サイトに広告を貼るだけで、年間1,000万のお金が入ってきた?

松本
次の日?
津田社長
次の日です。すごいなと思って、次の日、13万5,000円くらい入っていたんです。すごいな、これ、広告って、こんなにすごいのかと思って、波はあったにせよ、すごいときだとですね、1日60万円くらい入ってきたときあったんですね。

 

松本
当時、クリック課金とか、そういう。
津田社長
クリック課金と、成果報酬があって、それでひと月、だいたい平均すると、100万前後くらいのお金が入ってきて、年間すると、1,000万くらいのお金が入ってきたんですね。何もしなくても、サイトに広告を貼るだけで。そのお金で実は、ニューインデックスという会社を立ち上げたんです。

 

松本
立ち上げたのって、2008年ですよね。
津田社長
2008年ですね。だから、ずっとその間、そのお金を寝かしていたということなんですけど、半分くらい、実は、留学中の旅行で使っちゃったりもしたんですけど、半分くらい取ってあって、そのお金で会社創業したという流れなんですね。

 

松本
それはまだ、どこかにあるんですか?
津田社長
もう完全に閉じている。そのときにですね、いろんなメールとか、個別にいただくことがあって、このサイトがあって、ほんとに助かったです。ほんとに便利ですよねって、いろんな全然知らない人から連絡を貰うことになって、それが素直に嬉しかったんですね。なので、「あったらいいな」を「あってよかった」に!というのは、実はそこから原点がずっと辿ってきているという感じですね。

 

あとは、そういう知識を活かして、大学、そうですね、3年生くらいのときに、起業ごっこをしようということで、それこそ、授業も出ずにですね、ノートパソコン片手に、会社をドアノック営業していて、あのころって、まだホームページがない会社も多くて、あったとしても、今だったら、50万から100万で作れるサイトを500万から、1,000万で、ホームページ会社が受注して作っていた時代だったんですね。

我々、学生なので、50万、100万でいいよねということで、ドアノック営業していたら、その当時でそんなことやっている人って、あまりいなかったので、それで面白いねということで、発注をいただいたりとかして、10社くらいのクライアントのウェブ制作に携わっていたんですね。

 

これがやっぱり起業のきっかけの二つ目だと、一つ目は父親からの言葉貰ってからでしたけど、二つ目は、やっぱり自分がですね、何もかも決めてやらなきゃいけない、苦しさもありながらも、楽しさもそこには同時にあって、自分がやったことが、そのまま評価されて、お金になるということを覚えたときに、すごい面白かったんです。

大学もほとんど行かずに、行っても学食に行って、打ち合わせをするか、月末になると君は今月頑張ったから、君は30万円ねとか、友達とお金を現ナマをですね、配る会を学食でやっていたと、結構いいお金だったんですよね。その当時、学生にとっては。

 

松本
受注したら、津田さんとかが作る?
津田社長
そうです。本片手にデザインとかも勉強しながら作っていましたね。それを後輩に譲って、私は海外に、アメリカのほうに行って留学をしたんです。

留学して、ここで、ビジネスを勉強したんですけども、何か今に活きているかというと、正直どうなんだろうなと、やっぱり座学だったというのがあるんですね。

 

やっぱり私にとっては、大学時代に相当がっつり営業していたときにほうが、今のこの会社を創業してからに活きているんじゃないかなと思うんですけども。

やっぱり思ったのはですね、日本ってやっぱりすごいなと思ったんですね。大学だと教科書って、結構高いじゃないですか。だいたい1冊3,000円から1万円くらいの値段がしますけれども。アメリカの大学、特に、MBAとかで勉強すると、1冊3、4万くらいするんですよね。

 

松本
高い。
津田社長
高いんですよ。それを10教科とか揃えると、それだけで4、50万とかいっちゃうんですよ。その本がすごく分厚いわけなんですけど、その本を見ているとですね、いろんな会社の実例が載っているわけなんですよね。

 

その実例のなかの、50%はアメリカの企業なんです。GEだったりとか、フェデックスだったりとか、そこで驚いたのはですね、5割はアメリカなんですけど、実は、4割は日本の企業なんですね。

トヨタの改善だったりとか、看板だったりとか、いろんな日本の技術とか、経営の仕組みというのが紹介されていて、やっぱり日本が培ってきた、今までのビジネス力というか仕組みというのは、ほんとにすごいんだなって、実感しまして、残りの10%でその他、ヨーロッパ含めた海外の企業の事例なんですね。そういったのを実感したかなという感じですね。

 

松本
英語は喋れたんですか?
津田社長
英語は喋れませんでした。大学受験レベルなので、それこそ、アメリカに住んでいながら、日本の英語本みたいなものをアマゾンから取り寄せて、それで発音の練習をしたりとか地道にやっていました。

 

松本
どれくらいいてたんですか?
津田社長
3年間ですね。

 

松本
3年行けば、喋れるようになります?
津田社長
だいたいは、そうですね。人によって程度は違いますけど、ある程度は授業にはついていけているくらいにはなりましたけど。

 

朝8時から朝の5時まで仕事する状況が1年間?

松本
そこから帰国されて、独立していった?
津田社長
その前に、4年弱、ある会社に勤めていまして、これ新日鉄ソリューションズ、今で言うと、新日鉄住金ソリューションズという会社ですけど。

もともといきなり起業するという考えはなくて、起業はしたいと思っていたんですけども、それまでにどこかで必ず会社で勤める経験をしようと思っていたんですね。それで、選んだのが、新日鉄住金ソリューションズという会社で、やっぱりITが好きだったということと、あとは営業したいと思ったんですね。

 

やはり、独立すると、営業力が、まずは物を言うだろうということで、自分に営業力がないと駄目だろうなと思って、それでたまたまご縁のあった会社が新日鉄ソリューションズだったんです。

 

松本
どんな仕事をされたんですか?
津田社長
営業で、主に、インフラですね。サーバーだとか、ストレージに付加価値をつけて販売をして、保守メンテもするという、そういう事業があるんですけども。そのなかで私は営業、アカウント営業ですね。お客さんを回って、営業していたんですけども。

 

どこまで話していいのか、今、時効だと思いますけど、その当時ですね、今は違うと思いますけど、かなり残業体質の強い会社だったんですね。

これ会社がというよりも、その部署がと言ったほうが正確なのかもしれないですけど、ほんとに、その会社のなかで売り上げているトップ営業マンたち、5,000人くらいの会社なわけなんですけども、そのなかで一番売り上げを上げているような、ほんとにモンスターのような方々が揃っているところに、いきなりぶち込まれたんですね。そこで、配属2日目だったんですけど、朝5時まで。

 

松本
朝5時?
津田社長
5時です。

 

松本
何時からですか?
津田社長
8時からですね。朝8時から朝の5時まで残業しまして、見積もり作ってと言われるわけですよ。でも、見積もり作ってと言っても、はい、分かりましたと言うんですけど、どうやって作ったらいいか分からないし、誰に聞いてみないと分からないというなかで、最終的に、上司に確認してもらって出したのが朝の5時だったんですね。

 

いや、もう家に、新人って、朝8時に来なきゃいけないので、家に帰って、冷めたカレーを温めて食べて、そうですね、1時間弱くらい寝て、また8時に会社に行ったんですね。今日は定時の5時で帰ってやろうと思ったんですね。そしたら、その日も仕事が降ってきて、ほんとに定時に帰りたかったのに帰れなかったんですよね。

どうなったかと言うと、夜中の3時になったんです。夜中の3時になって、よし、じゃあ、家に帰って、2時間くらい寝れるかなと思っていた矢先に、上司が歩いてきて夜中の3時なんですけど。

 

松本
まだいっぱいいるんですか?
津田社長
そのチームだけはいるんです。不夜城のように明かりがついていて、よし、今から新人会やってやるから中華料理食いにいくぞと、朝5時までやっている店があったんですね。

 

3時ですよ、ちょっと勘弁してくださいと言おうもんなら、新人だから言っちゃいけないかなと思って、じゃあ、行きましょうと、4時半くらいまでやって、ほんとに半泣き状態ですよ。

タクシーに乗って、おもむろに無意識にこのとき、「運転手さん、社会って、こんなもんなんですかね」って聞いたら、「いや、こんなもんだと思うよ」って言われて、じゃあ、自分が絶えなきゃいけないんだなって感じて、1週間同じ状況続いたんですけど、そしたら慣れたんですね。2週間耐えれて、3週間いて、1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月って、少なくとも1年間はエンドレスです、ずっと。

 

松本
体力は大丈夫だったんですか?
津田社長
体力は、ほんとにへとへとになりながらですけど、逆に言うとですね、そこで体力ついたかなって思いました。創業すると、やっぱり寝ずに仕事をすることなんて、茶飯事なんですね。

でも、この体力って、サラリーマン時代に、相当鍛えられたなと思って、今だと、ブラック、ブラックって言う人が多いと思いますけども、それは自分の捉えようだと思っていて、私にとっては、ほんとにその経験が何事にも代えがたい、いい経験だったんですね。

 

松本
今振り返ると(笑)?
津田社長
振り返ると。あのときは死にそうでしたけど(笑)。それで、4年くらいしてから、脱サラして、創業したんです。

 

98%完成していたアイデアを、創業する1週間くらい前に、全部手放した?

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松本
一人からスタートしたんですか?
津田社長
そのときは二人なんですね。実は、大学時代に企業のホームページを作る仕事をやっていたと言っていましたけども、それを後輩に譲って、私は海外に行ったわけです。その当時。

その引き継いだ後輩が、社会人になってから会うようになって、一緒に創業したんですよね。いろいろあって、今はその彼はいないんですけれども、ずっと今、一人で会社を経営していますけれども、当時は二人でやっていました。

 

松本
それが2008年くらいですね。2008年だと、iPhoneとか出たくらいですか?
津田社長
iPhoneまだ出ていないですよ。まだガラケー全盛で、iモードがまだ、そのときは主流だったと思います。

 

松本
資金というのは?
津田社長
資金は、そうですね。スタートは500万だったんですけれども、それは私のなかでいけば、ウェブで蓄えたお金ですけれども。

 

松本
さっき説明した。
津田社長
そうですね。

 

松本
じゃあ、最初の事業というのは。
津田社長
ウェブの受託開発なんですけど、実は、ここにもちょっとストーリーがあるのが、会社を辞める半年くらい前から計画を練っていたわけですね。いろんなPLBSを建てたりとか、3年後までの収益プランみたいなものを作ってやっていたんですね。

 

それこそ、私、大学時代から、アイデアを思いつくと、全部エクセルにメモってやっていた癖がありましたので、そのなかで何をやるかというのを全部含めて、半年間練っていたんです。

最終的に出たアイデアはですね、ホームページをCMSって、要は、ブログのように簡単にホームページを作れるという仕組みがありまして、それを使って、安い金額で薄利多売で企業から受注を受けるというようなパッケージを思いついて、それを作ろうと思っていたんですけども、創業する1週間くらい前に、やっぱやめようとなったんですね。98%くらい用意した状態で、ホームページとかも全部作っていたんですけど、それを全部手放したんですね。

 

ガクセン(一握りの優秀な学生だけを検索できる「新卒逆求人サイト」)/後編

 

 

ニューインデックス株式会社 代表取締役社長 津田武

1978年三重県生まれ。法政大学を卒業後、2004年に米国テキサス州にあるUniversity of Dallas にてMBA を修了。帰国後は新日鉄住金ソリューションズ株式会社に入社。数多くの大型プロジェクトで実績をつくり、新人MVPに選ばれる。

その後独立し、2008年にニューインデックス株式会社を設立。営業の第一線で販路を拡大し、現在も活躍中。また、これまでに1,000 万ヒットクラスのウェブサイトを複数立ち上げた経験を持ち、知見やノウハウをビジネスにも取り入れている。営業的観点と持ち前のクリエイティブさで、常に新しい仕組みを考案している。

最近では、大手就職ナビ媒体の逆を行く就活メディア「ガクセン(優秀な学生を検索して採用するサイト)」で、就活・採用業界で多くの業界人から注目を集めている。