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本日のIDEAストーリー。ゲストは、お金のスペシャリスト超前向き男、株式会社セルフ・インプルーブ 代表取締役社長 和田勉さんです。和田さん、宜しくお願いします。
それから、私はいろんな実は、セミナーとか講師をやっているんですけども、言葉がすごく大事ということなので、自分のレベル、自分の価値を上げるためにも、自分自身ですよ、そのために超前向きと、超前向き男ということをだいたい8年くらい前からずっと自分で決めて、どこから出るときに、必ず、超前向き男の和田勉ですと。
現在、どういった事業されているのか自己紹介をお願いします。
その塾が今、東京校と名古屋校と熊本校と、全国で3校、今展開していて、これから福岡、大阪も開講しようという予定なんですね。そこにだいたい年齢は二十歳すぎから、70近い方まで、千差万別なんですけど。
ただ、傾向があって、女性が多いんですね。7割から8割、どのクラスも女性がいらっしゃって、そこにだいたい半年かけて、1日3時間という平日の夜とかにやるんですけども、そこにみんなお金のこと勉強したことないし、やっぱり夢の実現とかで、お金ということをやっぱり学びたいということで、そのお手伝い、それが今だいたい、うちの会社の大きな柱に。
それ以外の事業としましては、企業研修もやっていまして、どちらかと言うと、超前向き男なので、私のほうでモチベーションアップとか、それから、コミュニケーションスキルとか、ずっと営業マンだったので、トップセールス、自分でも言っているんですけども、そのことを活かして、営業系のセミナーとか、それから、プレゼンテーションとか、そういうことも教えたりという、そういう企業研修とか、あと、たまに講演とか、コンサルとかが、事業の主な内容になります。
寺子屋というのは、今のイメージだと、あまり寺子屋というのはピンと来ないと思うんですけど、昔は、文字の読み書き、そろばんとか、いろんなものを実は、そこで教えていたと。先生も千差万別で、別に、その吉田松陰先生みたいな先生だけじゃなくて、お坊さんがいたりとか、商人の方が先生やったりとか、要は、士農工商の時代なのに、身分を全部取っ払って、いろんな方が、いろんな学びをするというですね。そういう場が寺子屋だったんですけども。
それに実際、お金を中心にはするんですけど、お金の寺子屋と僕がしなかったのは、人生の寺子屋というふうに、これ商標登録も取ったんですけど、結局そのお金って、すごく大事なツールだと思うんですけど、それ以外の人生というのは、やっぱりコミュニケーションであったりとか、健康であったりとか、何のために、この仕事、やりがいであったりとか、そういうものをですね、分からない人が結構いるので、そういうこともこの塾でですね、何のために働くのかとか、何のためにお金が必要なのという、あり方と私言っているんですけども、それを身につける場所が、このお金を学ぶ人生の寺子屋というふうに定義して、自分でやっているのが今、状況でございます。
でも、それをどっちにするかは、みなさん次第なので、お金が実は、すごくたくさん稼げる人と、増やせる人は、エネルギーがポジティブなんですね。逆に、ネガティブな人というのは、どんどんお金が出ていったりとか、体の調子悪くなったりとか、人生悲観的に考えているというのが、だいたいネガティブなマイナスになってくるので、そういう意味で、お金だけではないけども、前向きになることによって、お金はもちろん入ってくるけど、人生が素晴らしくなるよというようなですね。一応、私の思っている指導方針の根幹です。
お金のブロックが外れると人格が変わる?
そういうことを一つずつ、こういうことだからとちゃんと論理立てて話しながら、ただ、先ほど言いました、あり方という、何のためにというのが大事なので、そこのところにすると、例えば、家計簿なんかも、今まで、累計で、100何十人、この3年半ほど開講しているんですけど、そのなかでやっぱり家計簿つけられなかった人って、100何十人で一人もいないですね。だから、みんなつけれませんと入ってきた人、何人かいるんですけど、必ずつけれるようになる。そういう塾に入ると、すぐ目に見えるものでは具体的な感じで。
あとは、お金をなんとか貯めて、こういう目的のために増やしたいという人が目的を達成したりとか、あと、何人かサラリーマンを辞められて、起業した人もいます。私、起業支援もしているので、起業するにあたってのマインドの話とか、もっと言うと、具体的な話したら、起業の資金融資の話、資金繰りどうするかとか、それはお金の僕はプロなので、その辺のアドバイスとかして独立される方もいます。
もっと言ったら、例えば、「給料少ないんだよね」とか、「なんか、うちの会社ってさ、ケチなんだよね」とか、これ全部お金のブロックなんですよね。僕に言わせると。
それを外してあげると、お金だけの話じゃないと思ったんですね。顔色がまったく変わりますね。分かりやすいですよ。ビフォー、アフターとか、写真撮ったら、めちゃくちゃ分かりやすいですよ。
ですから、うちのやっている寺子屋に入塾した人は、みんな天才なんだけど、自分は凡人以下だと思っている人が多いですから、結局それに向き合うことによって、あなただって、すごい実は素晴らしいんだよと、その素晴らしい特性というのは、いろんな手法があるので、そこをいろいろ、あなたはこうだよというかたちのなかでの自分に気づかせる。
あと、寺子屋というのは僕が教えて、一方的じゃなくて、なかで、すごくディスカッション、ワークをいっぱいするんですね。そこで一番の学びは何かと言ったらば、知識教育じゃなくて、気づきなんですね。だから、塾生同士、あるいは、僕と塾生と、みんなで気づきを、そうか、そういうことなんだという、それがたくさん得られると、一番それが学びの効果として大きいんですね。
寺子屋で一番学ぶと、HowToを学ぶというよりは、そうじゃなくて、自分の器が大きくなる。それがもっと言うと、お金だけじゃなくて、人間力だとか、人格形成とかですね。そういうところまで僕はいくと思っているので、そういう大人の学校みたいなイメージですね。
でも、それは逆でして、あなたは最高の芸術作品なんだから、なんで、それ褒めないのと僕は言うわけですね。そこに気づいてもらうと、それは1回会って、ぱっと、人って分からないので、やっぱり半年という期間をかけて、僕という人間を知ってもらって、やっぱり人間関係、信頼関係を作って、その人の良さを引き出していくという、そんな感じの進め方をしていますね。
すごく言わなくても分かるというか、例えば、昔の近所ってどうなっていたかと言ったら、おじさん、おばさんが、周りの近所の子供、自分の子供みたいに叱ったり、あるいは、楽しんで遊んだりということをしているけど、今はどっちかと言うと、知らない人だからとかいうかたちで、要は、損得で物事を判断しちゃう。
でも、そうではなくて、やっぱり、みんな、愛の塊だと僕は思っていますので、そういうことは理性ではなくて、感性を豊かにする。寺子屋というのは、どっちかと言ったら、理性取っ払いましょうという話をして、感性を豊かにするという、その感性がひょっとすると芸術であるかもしれないし、ひょっとすると、それがいろんなものづくりかもしれないし、ひょっとすると、人前で教えることが感性かもしれないしという、そういう良さを引き出していくということですね。そんなようなイメージですね。
でも、本当は男女、やっぱりそれぞれの特性がありますけど、女性は女性しかできないビジネスもあると思うし、そういうことで伸ばすためには、やっぱり女性も虐げられている意識とか、感覚を、そんなことないよと言って、女性の良さを開花してあげるほうが、僕はやっぱりいいので。
そういう意味では、確かに、女性は今、男性と女性と言ったら、そういう意味で、能力発揮できていないのはどっちと言われたら、女性のほうが、いろんな面で、閉ざされているんじゃないかなという気はしますけどね。それで女性が逆説的には、うちが増えているのかなという。ここに来たら、何か変えれるんじゃないかみたいな。変わっていますけどね。お陰さまで、みなさん。
だから、どちらかと言うと、サラリーマン、OLの方が多くなるかと。それと、先ほど言いましたように、やっぱり女性層のほうが、実際、今、我々の塾生も7割8割女性なので、だいたい年齢でいくと30後半、40歳前後ですね。の方が多いかなと、あとは、主婦の方も、もちろんいらっしゃいますし、個人事業の方もいらっしゃる。ただやっぱり大会社の社長とか、そういう方は、うちに来ないですよね。必要もないと思います。
昔から、超前向き男だったのか?
僕はどっちかと言うと、うちの母がもともと仙台の出身で、仙台の小学校に行っていたので、大阪の小学校に転校したらば、言葉が今と違って、仙台って、昔だったら、「そうだべっちゃ」みたいな感じのズーズー弁でテンポが遅い、ゆっくりしているので田舎は。
大阪って、ちゃっちゃっちゃって、漫才みたいなノリですから、かっこうのいじめの対象、僕は3年生から6年生まで、ずっと4年間いじめられたので、だから、いじめられっ子だったんですね。だから、当然そのときも、どっちかと言うと、何も喋らないし、何かされても抵抗しないし、という、ずっと我慢していたんですね。
それはそれで我慢したんですけど、中学になると、今度、別の校区一緒になるじゃないですか。そのときに、いじめっ子も上がってくるので、やっぱり自分のなかで限界だったんでしょうね。嫌だと思って、やっぱり同じように、中学入ったときに、いじめっ子がいじめようとしたときに、僕がブチ切れたんですね。それがほんとに何をやったか分からないくらい暴れてしまって、真っ白で、そうすると、そのときに、僕は全然覚えていないですけど、とにかく血だらけになったやつが倒れていて、机とか、折れたホウキとか、その辺にあるので、多分それで、多分、僕が殴り飛ばしたんだろうと。
今まで4年間ずっといじめられていて耐えてきたと、それでやっぱり、そこで人っていうのは、この行動とか、そのあれで、ものすごく見る目が変わるんだなって、小さいころに気づいたんですね。
じゃあ、どうしようと思ったときに、嫌われたくないですから、じゃあ、人気者になろうと、クラスの、ということは、これは、やっぱり元気よく、面白いやつだというほうがいいかなということで、だんだん前向きなというところが、その中学のいじめから転換してから、どっちかと言うと、変わってきたというのが、これが実は、前向きになってきたあれなんですね。
だから、ウジウジするのはやめようみたいな感じ。戻れないという感じですね。もっともっといこうみたいな感じになったから、でも多分、もともとはそっちが僕の特性だったと、後半が。前半はなんでそうなったかよく分かりませんけども、じゃないかなという感じがしますね。
あと数日オペが遅かったら、僕は多分生きていなかった・・。
結局そのときは自然気胸という病気だったんですけど、肺に穴が開いて、穴が開くと風船抜けちゃうみたいになるから、肺が小さくなっちゃって、息ができなくなるというので、実は高3の秋くらいに1回倒れちゃって、それで病院行ったらば、自然気胸という病気なので、どうしますかと、そこに寝ていてくださいと、絶対安静しているとくっつくのでみたいな、空気も抜けるからみたいなので、受験の前の大変な時期で、ずっと寝ていたりとかってあったんですけど。
開けたら、なんとですね、自然気胸はもちろんあったんですけど、そうじゃなくて、原因不明の血栓、血の塊が肺動脈に詰まっていて、もうその段階で僕の肺は3分の1、腐っていたんですよ。
だから、あと数日オペが遅かったら、僕は多分生きていなかったっていうふうには、後で、うちのドクターが、うちの両親に説明していたんですね。それ18のときです。だから、僕は死にかけたんですね。死にかけて、そのときに、やっぱり人って、死にそうになるとこうなるんだって、まだ18ですからね。そういう感覚、今までなかったのに、そのときはすごく人生観変わったというか、人のためにやらなくちゃいけないよねみたいな思いが、18のときにあって。
でも、その高3のときに、そういうことになっているから、僕は浪人してしまって、駿台予備校というところの医師系のクラスにいたんですけども、結局それで、もし次の年ですね、医学部行っていたら、また僕、人生変わっていたと思うんですけど、頑張ったんですけど、ちょっと頭が、ちょっとだけ足りなくてですね、実力が。
医学部は断念して、ただ、そのときに、やっぱり何か貢献したいなというのはあったので、なんだろうなと思ったときに、医者じゃなかったら、多分、食べものは絶対必要だから、食に関する学部に行こうと思って、農学部。京都府立大学農学部というところに行ったんですね。
そこに行ったんですけど、そこから就職するときに、別に農家なるわけじゃないんだけど、じゃあ、どうすると言ったときに、たまたまそこの部屋にいた教授が、「三共という製薬メーカーが先輩にいるから、お前、じゃあ、三共行くか」という話になって、製薬だったら人の命を助けられるな、そんな感じで思いで、製薬メーカー、三共に行ったというですね。
バブルまっただ中なので、結構いい感じで、給料も高かったし、サラリーマンでずっと営業系で、僕はMRというのはやったことないので、卸さんと言うんですかね、そっちのほう担当とか。あと、ちょっと変わっているんですけど、農薬という関係の部署ですね。そこにいたりしたので、そういうのをやっていて、ずっとサラリーマンで営業だったので、お陰さまで成績は僕は良かったと思うんですけど。
外資系メーカーからヘッドハンティングを何回もうけるほどのトップセールスマン!
目の上のたんこぶなんです。他のメーカーからすると。転勤なんかしようものなから、みんな送別会、喜んでくれて、他社が、「いやー、和田さん、転勤ですか。良かったですね」みたいな、お前らが良かったと思うんだけどみたいな、そんな感じのことやっていたら、途中で外資系のメーカーからヘッドハンティングが何回かあって、うちに来ませんかみたいな。
そのままずっとサラリーマンの営業やっていたんですけども、第一製薬というところと三共が合併することになったときに、残りますか、辞めますかという話になって、なんとなくタイミングいいから、辞めて独立しようと思ったから辞めますと言ったんですけども。
そのときに辞めるという段取りはしていたんですけど、うちの家内が専業主婦だったので、まだ子供も二人いて小さかったのに、そこで夫婦の大乱闘が始まって、「あんた、何を考えているの」と、「これから、あんた起業なんて、とんでもないでしょ」、「いやいや、俺はトップセールスだし、多分いろんなビジネスやっても、絶対俺は一番になるから、多分今より金持ちになるぞ」と言ったけど、まったく通じず、うちの奥さんには。
株式会社セルフ・インプルーブ 代表取締役社長 和田勉 17歳の時に、原因不明の血栓が肺に飛び、肺の一部が腐って死にかけたが生還。これ以外にも、20歳の時に自動車事故、40歳手前でお酒の飲み過ぎで2回も死にかけたが、幸運にも助かった。 18歳の大学生の時に飛込みの教材販売を経験し、1週間で70万円の収入を獲得。京都府立大学卒業後、大手製薬メーカーの三共株式会社に入社。その時の初任給は16万円ほど。同社が合併する時に退職し、三井化学へ。 以前からサラリーマンだけの収入に不安を覚え、宅建など30ほど資格を取得。しかし、どれもすぐにはお金を生まないことに気付く。自己啓発に1000万円以上かけ、投資の世界へ突入。サラリーマンをしながら、様々な投資にチャレンジ。儲けたこともあるが、騙されたり、持ち逃げ、裁判沙汰にも巻き込まれ、お金と人間関係の難しさを経験。リーマンショックによりFXで数千万円の損失を一瞬で体験。 ここから、アパート経営や投資について本格的に勉強を始める。お金はエネルギーで、考え方が全てであることがわかり、実践しアパート大家となる。現在国内にアパート2棟、ハワイ、フィリピンにも不動産を所有。人のご縁で、100億円を超える資産を持つ富裕層との多くの出逢いを経験。そこで、彼らにインタビューして彼らには共通の思考パターン、習慣があることがわかった。 |