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本日のIDEAストーリー。ゲストは、パーミスト代表 及川遼さんです。及川さん、宜しくお願いします。
現在どういった事業をされているのか自己紹介をお願いします。
あとは、身なりもそうですね。例えば、猫背の人とか、例えば、「あー、俺は及川です」という人は、そういう性格にみえますよね。「及川です。よろしく」と言っても、そういう感じに見えますよね。だから、声も人相のうち、そのなかの一部として手相ということですね。
1番人気がある占いとは?
姓名判断で言えば、同じ画数だから、同じ運勢、しかも、同じ生年月日だから、同じはずなのに、多分、愛子ちゃんと運子ちゃんって、まったく違う人生歩むイメージ浮かびませんか?
それが名前、音霊、言霊もありますし、また、その子に対する思い入れ、または、日本に生まれたのと、例えば、戦時中、今でも戦争は起こっている国に生まれた人と同じ運勢ではないんですね。
土地柄、日本の運勢、日本に生まれた運勢と、アフガニスタンで生まれた人の運勢というのは、やはり国の温度が強いんですよ。だから、そういったものも全部加味してやると、それこそ同じ運勢はないということですね。
手相は変わる?変えられる?
でも、相術というのは変えられるんですよ。例えば、家相も相のうちなんですけれども、人相、家相、手相、全て努力次第で変えられるということですね。名前もそうですけれども、相のうちですけども、努力次第で変えられるものでないと、運命学というのは、当てつけになってしまうじゃないですか。
あなたはこういう人生、以上、終わり、というのは僕あまり好きじゃないんですよ。そのなかで自分が努力した分、変えられるものというのは相術ですので、また、一番そのなかで逆転して考えると、その相を変えることによって、中の運勢も変えられるというのが私の考え方ですので、そういったものは好きで、それを中心にやっています。だから、私、実を言うと、占いって、あまり好きではないんですよ。
人生というのは無限大に広げられるし、自分が思った通りの意思のほうがエネルギーが強いんですね。もちろん、決められた運勢というのは、ある程度あるんですが、それ以上に自分が志す、こういう道歩みたいと言ったときから、運勢は変わっていくので、そっちのほうが大事だと思うので。
ただ単に決められた運勢を当てるのではなく、もっとより良い道がありますよ、そのためには、○○したほうがより良い人生歩みますよということの、いろんな選択肢、本人のなかで選択肢が見つかるような流れのお手伝いをしたいというのが、私の個人的な考えですね。
なぜかと言うと、本来、内側にあるものが表に出てくるのが線なんですが、外側からつけるものは傷なんですよ。だから、せっかくの手相に傷をつけているようなものなんですね。傷というのは全部悪い意味を持ちます。だから、手相に何か書くというのはいいですよ。書くというのは、想念術ですから、自分のイメージで、例えば、開運線というのを書くことによって、自分が運が良くなると信じ込むことで運が良くなりますね。
でも、同じようにね、やっぱり手術であったとしても、自分が運が良くなると思ったほうが、より強く出ます。ただ実際はさっき言った、傷なので、あまり、そういった手術はおすすめしないですね。それだけ、外行って、手術をして直したいという人は、運が良いかというと、運が良くないです。自分が運が悪いから、そういったことに頼るわけでしょ。だから、手術するより、書きたい方は書いたらみたいな、そんな感じで。
だから、その思いこみがエネルギーのほうが強いんですよ。もともと持った、命運という生まれ持ったもののエネルギーと、思い込みの念、最近でも量子力学とかね、思った通りになってしまうよとか、引き寄せとかあるじゃないですか。
いいほうを思うと、いいものを引き寄せる力が出るんですよね。そのお手伝いを、先ほど言った、したいということで、運命は変えられますよ、そんな自分のなかで小さな運勢で甘んじないで、もっともっと大きな広い運勢がありますよというのを見つけるお手伝いをしたいというのが、私の基本的な考え方です。
30年間で述べ2万5,000人以上を鑑定!
六畳一間のアパート。お金がない、仕事はすぐ辞めちゃう、飲んだくれな父親。そんなドラマのような家庭!
お金がない、仕事はすぐ辞めちゃう。お酒は飲む。酔っ払いみたいな、そんな父親とね、仕事のなかですごく共稼ぎで、男と一緒に頑張っている母親、そのなかで生きてきたので、だから、自分のなかでは、母親というのは綺麗でいてほしかったし、うちのなかで本読んでいるようなね、そういう母親が僕の理想だったんですけども.
共稼ぎで肉体労働してみたいな、そんな母親が好きになれずに、自分は早く社長になるんだという、そんなところから起業したいと、ずっとそれは中学時代から起業するとは自分で、起業というか、社長になるという感じですね。
24歳で日本初の対人警護、日本シークレットサービスを作る!
えらい若いときですけども、やったのは対人警護、今日本にないサービスだと。「だから、お前やれ」と、で始めたのが、日本シークレットサービスという会社を永田町、今の政治家いっぱいいるところですね。そこで始めて、対人警護専門の会社を作って、そのとき雇われ社長です。始めたのがまず出だしですね。その会社は今も残っています。
私があるときブログで対人警護、日本初の対人警護、日本シークレットサービスのやっていたと言ったときにクレームが入ってですね。その会社の役員から、内容署名来てね。あなたのところ一番じゃない。私のところが一番だから取り下げてくれというのが来たんですよ。
いや、それ違うんですよ。私が初めてですから、調べてみてくださいと言って、譲ったのは、そこの会社なんですけども、3、40年前なので、その方が知らないで、私を訴えようとしたんですけど、実は私のほうが先で、その会社に譲ったのは私だったということに、向こうはびっくりして、すみませんということで。
それで始めたのが、私の先生が芸能界の仕事とかも、いっぱいやっていたので、芸能界のタレントのボディーガードとか、政治家というのは本来ピストル我々持てないので、ほんとの体でガードするというのは、別に空手やっていたから、ガードできるという問題ではないので、それは最初のほうで行き詰まりじゃないけども、企画としては失敗だなということで、今度は著作権の警備というのもやったんですよ。
著作権というのは、ちょうどそのころ、ビデオレンタル店というのが流行り始めたころなんですが、今みなさん普通にビデオ借りていますけども、その時代というのは、ビデオレンタルというのは違法だったんですよ。全て。100%違法だったんですね。
簡単に勝手に、売っているものをレンタルしちゃいけないという著作権があるわけですよね。そのころはビデオレンタルというのは全て無認可でやっていたのを、初めて認可を下ろすビデオ協会というのができて、その下請けみたいなかたちで著作権を守るということで、全国のビデオレンタル、違法レンタル店の取り締まりということの代行でやっていました。
全国のビデオ店の調査をしているうちに、ビデオレンタルのノウハウを全部私が覚えちゃったわけですよ。全ての儲かっている店、儲かっていない店のやり方とか、だから、今度は、ビデオレンタル店をやらないかと、または、そのビデオレンタル店の卸業者がやってくれないかということで頼まれて、じゃあ、そちらのほうがいいでしょうということで、今度は、ミイラ取りがミイラじゃないんですけども、今度は、ビデオ売るとか、または、レンタルするほうに回っていったんですね。
時代の波に乗りバブリーな時代!
ずっとなくならないように溜まってくると、さらに、もう1店舗作る。タダで簡単に中身はそのままで作ることできますよね。そういった形でやるうちに、どんどん商品が増えてくる。商品が増えてくると、もう1店自動的にできるみたいな、そんな形でね、店舗が広がっていった時代ですので。
利益率がかなり7割8割、普通で言うと、今、2割3割あれば、儲けが大きいほうですけども、そのレンタルというのは8割以上が儲けになるので、かなり利益率でしたね。
それが地域にどんどん出来始めてきたんですね。だから、資本のある業界がどんどん出てきて、結局、じゃあ例えば、10坪の店と50坪の大型店どっち行くかというと、圧倒的にそちらに行っちゃうわけですよね。
そうなった場合、小資本の会社がやっていけないんじゃないかなと思いまして、そこで早めに切り上げなきゃと思って、まだ利益は随分出ていたんですけども、業種転換して、今度、その時代に流行ってきたのは、ファミコンなんですよ。ファミコンでも中古というのは結構、またさらに利益率が高いわけですね。だから、中古のファミコンショップみたいなのを、今度そちらのほうに移行していきましたね。
今だったらね、絶対残しておいたほうがいいよとか、利益が出ている限り、残しておいたほうがいいよというアドバイスできるんですけども、そのころは一気に全部乗り換えちゃうやり方をやっていましたので、だから、全部捨ててというかたちでやりましたね。
パーミスト 代表 及川 遼 起業コンサルタントであり、占い師という2つの顔を持っています。 千葉の津田沼出身。1959年1月生まれの山羊座58歳。転職&放蕩(借金)大好き??なオヤジと、それを支え献身的に働く母のもとに生まれ、星飛雄馬のちゃぶ台返しを、家庭で体験してきた幼少時代。女性に優しく男に厳しい今の性格は、その頃の家庭生活に秘密があったことに最近気づく。その頃の貧乏コンプレックスで、子供の頃からの“夢”は“社長になること。中学時代は禅や哲学、柔道、茶道、日本の道に凝る、かなり年寄りじみた若造時代。高校時代は、昼は真面目に吹奏学部の部長。裏の顔は、男の強さを求めて空手修行10年で3段を取る。 大学卒業してから人生でたった2年だけの会社員経験。小さな頃からの夢叶って、24才に独立。まずは日本初の対人警護専門会社、シークレットサービスを立ち上げ社長業のスタート。副業?で“便利屋(何でも屋)”も開業。やれば何でもできる!に開眼!そこで天性の“商才”が、花開く!!(笑) ビデオレンタル著作権警備(これも日本初)も始め、後にミイラ取りがミイラになってビデオレンタル店を開業!それが大当たり!!18年間、毎年好きな車を買い替えるちょっとバブリーな生活。“今後は、エステが流行る!!”訳なく直感!!いきなり全てを捨てて、全く素人のエステ業界に転向!女性音痴の私が、否応なく女性の心理とエステの技術も学ぶ。 30歳から始めた手相は自称日本トップクラス。今まで2万人以上の恋と仕事の相談に乗ってきました。現在は、東銀座にオフィスを構え、結婚相談所と占い師、そして30年以上培ってきた実践的経営コンサルタントとして活動しています。 |