第27回:将来は手相と人相で見える・銀座の当たる手相占い師

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こんにちは。イデア・クリエイションの松本泰二です。
IDEAストーリー

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このサイトでは、これから起業に興味のある方に向けて、成長のサービスを展開されている方、面白いサービス、商品を出されている方、各分野の実績を出されている専門家の方々にインタビューということで、各スペシャリストの方にお話を伺ってしまおうというような内容で、毎週お届けしています。

 

 

本日のIDEAストーリー。ゲストは、パーミスト代表  及川遼さんです。及川さん、宜しくお願いします。

及川社長
今日は、宜しくお願いします。

 

現在どういった事業をされているのか自己紹介をお願いします。

及川社長
及川遼と申します。東銀座のほうで手相占いのほうを主にやっています。それ以外に、また結婚相談所と起業塾とその3本柱で今はやっていますね。

 

松本
占いって、いろんな種類あると思いますが、どういった占いなんでしょうか?
及川社長
占い全般できるんですけども、メインのは手相が一番得意ですね。手相、人相、最近は人相学を中心に開運メイクとか、エステに応用できるかたちで、外面から中身は変えられますよということで、そういうこともやっていますね。

 

松本
手相と人相、違い。
及川社長
違いますね。実は、人相というのは、全部が人相なんですね。例えば、具体的に言うと、手相も人相のうち、顔というのは顔相。そして、例えば、声は声の相というのがあるんですね。

あとは、身なりもそうですね。例えば、猫背の人とか、例えば、「あー、俺は及川です」という人は、そういう性格にみえますよね。「及川です。よろしく」と言っても、そういう感じに見えますよね。だから、声も人相のうち、そのなかの一部として手相ということですね。

 

1番人気がある占いとは?

松本
人気がある、ちょっと分からないですけど、人気がある占い。
及川社長
一番はやっぱり手相ですね。例えば、手相できるといったときで行列作りますね。一度飲み会で言ってしまったことあるんですよね。100人ちょっといる飲み会で、今日は、みなさんの見てあげますよと言ったら、100人全員並びました。死にましたけど。

 

松本
でも、飲み会とかでできれば。
及川社長
やったら、えらいことになりますね。でも、手相は簡単に見られるというのと、生年月日を調べる必要がないので、即できて、特に女性に人気がありますね。

 

松本
生年月日ってあるじゃないですか。
及川社長
四柱推命、ホロスコープ、いろいろありますね。

 

松本
あれもすごい疑問に思ったんですけど、生年月日一緒の人とかいるじゃないですか。あれは、じゃあ、一緒なのとか思っちゃうんですよ。
及川社長
一緒であったとしても、育ちが違う。例えば、言霊というのありますね。よくお話するんです。これ長い話で大丈夫ですか?

 

松本
全然大丈夫です。
及川社長
例えば、名前がつきました。例えば、画数の占いがあって、例えば、一人双子が生まれて、愛子ちゃんというのをつけました。同じ画数でつけてあげたい。でも、その親がセンスが悪くて、運がいい子にしたいから、運子ちゃんと、例えば、したとするじゃないですか。同じ画数なんですよ。

 

姓名判断で言えば、同じ画数だから、同じ運勢、しかも、同じ生年月日だから、同じはずなのに、多分、愛子ちゃんと運子ちゃんって、まったく違う人生歩むイメージ浮かびませんか?

 

それが名前、音霊、言霊もありますし、また、その子に対する思い入れ、または、日本に生まれたのと、例えば、戦時中、今でも戦争は起こっている国に生まれた人と同じ運勢ではないんですね。

土地柄、日本の運勢、日本に生まれた運勢と、アフガニスタンで生まれた人の運勢というのは、やはり国の温度が強いんですよ。だから、そういったものも全部加味してやると、それこそ同じ運勢はないということですね。

 

松本
なるほど、それで全然変わってくる。
及川社長
そうです。ただし、運の流れは同じですから、基本的に、だいたい何歳くらいに調子がいいですねとか、何歳くらいに結婚しやすいですねという、だいたいのおおよその流れというの、サイクルは同じサイクルを歩みますね。

 

手相は変わる?変えられる?

松本
例えば、手相で進化するというか、変わったりは?
及川社長
変わりますね。だから、手相が好きなんですけども、生年月日で占う、占いというのは命術と言って、一生変わらないわけですよ。例えば、山羊座で生まれた人が射手座になりたいというのは無理なんですね。または、血液A型の人がO型になりたいと言っても無理なんですね。

でも、相術というのは変えられるんですよ。例えば、家相も相のうちなんですけれども、人相、家相、手相、全て努力次第で変えられるということですね。名前もそうですけれども、相のうちですけども、努力次第で変えられるものでないと、運命学というのは、当てつけになってしまうじゃないですか。

 

あなたはこういう人生、以上、終わり、というのは僕あまり好きじゃないんですよ。そのなかで自分が努力した分、変えられるものというのは相術ですので、また、一番そのなかで逆転して考えると、その相を変えることによって、中の運勢も変えられるというのが私の考え方ですので、そういったものは好きで、それを中心にやっています。だから、私、実を言うと、占いって、あまり好きではないんですよ。

 

松本
好きじゃない?
及川社長
好きではないって、占いは好きなんですけどね。俗に言う、オタク占い師ですね。あなたは、こうよという、要するに、昔ちょっと有名になったおばさんもいましたけど、あんたこうよと決めつけるのが一番、僕は嫌なんですよ。

人生というのは無限大に広げられるし、自分が思った通りの意思のほうがエネルギーが強いんですね。もちろん、決められた運勢というのは、ある程度あるんですが、それ以上に自分が志す、こういう道歩みたいと言ったときから、運勢は変わっていくので、そっちのほうが大事だと思うので。

 

ただ単に決められた運勢を当てるのではなく、もっとより良い道がありますよ、そのためには、○○したほうがより良い人生歩みますよということの、いろんな選択肢、本人のなかで選択肢が見つかるような流れのお手伝いをしたいというのが、私の個人的な考えですね。

 

松本
誰か忘れちゃったんですけど、多分、有名人だったか、昔の人だったか、記憶はないんですけど、無理矢理、線入れて、手相を・・・
及川社長
韓国のほうでね、一度話題になって、韓国人はよく手に手術というかね。整形する方いらっしゃるんですが、私は絶対反対派ですね。

なぜかと言うと、本来、内側にあるものが表に出てくるのが線なんですが、外側からつけるものは傷なんですよ。だから、せっかくの手相に傷をつけているようなものなんですね。傷というのは全部悪い意味を持ちます。だから、手相に何か書くというのはいいですよ。書くというのは、想念術ですから、自分のイメージで、例えば、開運線というのを書くことによって、自分が運が良くなると信じ込むことで運が良くなりますね。

 

でも、同じようにね、やっぱり手術であったとしても、自分が運が良くなると思ったほうが、より強く出ます。ただ実際はさっき言った、傷なので、あまり、そういった手術はおすすめしないですね。それだけ、外行って、手術をして直したいという人は、運が良いかというと、運が良くないです。自分が運が悪いから、そういったことに頼るわけでしょ。だから、手術するより、書きたい方は書いたらみたいな、そんな感じで。

 

松本
毎日書くのはどうなんですか?
及川社長
いいですよ。ただ、先ほど言ったように、それは実は、書くからなるんじゃないんですよ。書くと信じて、良くなると信じるからなるわけですよ。逆なんですね。だから、書かなくても絶対運が良くなるんだと信じたら、そうなるし、例えば、悪いことも信じて、悪い線書くと、運が悪くなるよと言って、毎日、運が悪くなる線を書いていたら、運が悪くなってしまいますよね。

だから、その思いこみがエネルギーのほうが強いんですよ。もともと持った、命運という生まれ持ったもののエネルギーと、思い込みの念、最近でも量子力学とかね、思った通りになってしまうよとか、引き寄せとかあるじゃないですか。

いいほうを思うと、いいものを引き寄せる力が出るんですよね。そのお手伝いを、先ほど言った、したいということで、運命は変えられますよ、そんな自分のなかで小さな運勢で甘んじないで、もっともっと大きな広い運勢がありますよというのを見つけるお手伝いをしたいというのが、私の基本的な考え方です。

 

30年間で述べ2万5,000人以上を鑑定!

松本
今まで何年くらいやって、何人くらいのお客さんが?
及川社長
今まで、平成元年から本格的に、その前から好きではあったんですけどね。運命学は気持ち的に好きではあったんですが、本格的にやり出したのは平成元年ですから、今29年目ですね。

 

松本
10年近く。
及川社長
やった年から、プロとして、お金もいただいていたので。

 

松本
何人くらい今まで?
及川社長
2万、4、5,000人くらいなんじゃないですかね。どれくらいなんでしょうね。

 

松本
割合的には女性がやっぱり多いですか?
及川社長
女性がだいた、占いの場合、だいたい9割、どこもそうだと思うんですけど、女性がだいたい9割だと思いますね。

 

松本
だいたい恋愛とか、そういうケース?
及川社長
そうですね。そのうちの8割9割は恋愛ですね。

 

松本
男性はどういう系で来るんですか?
及川社長
男性はやっぱりビジネスとか、仕事の転機とか、そういった場合ですね。

 

 

松本
結婚とかありますか?
及川社長
結婚は半々くらいですかね。男性も本来好きなんでしょうけども、女性のほうが圧倒的に素直というか、男性はちょっと意地っ張りなところありますよね。聞きたいんだけど、ちょっと恥ずかしいかなとかありませんか?

 

松本
確かに
及川社長
手相見て、いいなとか思いながら、でも、俺行かないみたいな、割とそういうね。女性の場合は割と素直で、見せて、見せてとかそんな感じです。

 

六畳一間のアパート。お金がない、仕事はすぐ辞めちゃう、飲んだくれな父親。そんなドラマのような家庭!

松本
及川さんの起業、占いの前のお話も含めて、いろいろ、いろんな事業もやってきたということでお話を聞いていますので、そこら辺のストーリーもお伺いしてもよろしいでしょうか。
及川社長
まず、私の根本的なものから、話さないといけないんですけども、私、割と貧乏だったんです。生まれたところが、それで、昔から貧乏は嫌だみたいな感じで、社長になると、昔から決めていたんですよ。

 

松本
どこのご出身ですか?
及川社長
千葉県の津田沼というところで生まれて、六畳一間のちゃぶ台返しがあった時代ですね。アパートに住んでいたみたいな。そういう両親を見ていて、自分はやはりこうなりたくないという、反面教師ですけど、今は感謝していますけど、そのころは親がやっぱり嫌いというか、あまりいい印象はないですね。

 

お金がない、仕事はすぐ辞めちゃう。お酒は飲む。酔っ払いみたいな、そんな父親とね、仕事のなかですごく共稼ぎで、男と一緒に頑張っている母親、そのなかで生きてきたので、だから、自分のなかでは、母親というのは綺麗でいてほしかったし、うちのなかで本読んでいるようなね、そういう母親が僕の理想だったんですけども.

共稼ぎで肉体労働してみたいな、そんな母親が好きになれずに、自分は早く社長になるんだという、そんなところから起業したいと、ずっとそれは中学時代から起業するとは自分で、起業というか、社長になるという感じですね。

 

24歳で日本初の対人警護、日本シークレットサービスを作る!

松本
漠然に
及川社長
そういうふうに思っていましたね。それで、僕はずっと空手も習っていたんですが、1年間だけサラリーマンで車売っていた時代があるんですけども、それが1年後に私の空手の先生が、「お前、ちょっと会社、社長にならないか」、「いいですね、やります」で、すぐ辞めちゃって、それが24歳。

えらい若いときですけども、やったのは対人警護、今日本にないサービスだと。「だから、お前やれ」と、で始めたのが、日本シークレットサービスという会社を永田町、今の政治家いっぱいいるところですね。そこで始めて、対人警護専門の会社を作って、そのとき雇われ社長です。始めたのがまず出だしですね。その会社は今も残っています。

 

松本
残ってらっしゃるんですね。
及川社長
日本最古のという、これはどこまで言っていいか分からないですが、後でカットしていただいても結構なんですが、その会社に3年くらいやっていて、実際に、ほんとに警察出の方が東京都千代田区に出てくるときに、日本シークレットサービスという会社を、私たちの会社から譲ってくれないかということで譲ってあげて、それでその会社を一旦閉めたというか、譲ったんですけど、その会社、今、残ってやっていますね。警護、対人警護専門会社ということで、まだ残っています。

 

私があるときブログで対人警護、日本初の対人警護、日本シークレットサービスのやっていたと言ったときにクレームが入ってですね。その会社の役員から、内容署名来てね。あなたのところ一番じゃない。私のところが一番だから取り下げてくれというのが来たんですよ。

いや、それ違うんですよ。私が初めてですから、調べてみてくださいと言って、譲ったのは、そこの会社なんですけども、3、40年前なので、その方が知らないで、私を訴えようとしたんですけど、実は私のほうが先で、その会社に譲ったのは私だったということに、向こうはびっくりして、すみませんということで。

 

松本
最初、24歳。若い、初めて、いきなり社長という。3年間やったということですね。
及川社長
自分は起業の仕方を知らない。まったくサラリーマン生活1年しかない人が、いきなり社長になったので、社長らしくは振る舞っていましたけども、社長としてのノウハウというか、ものを何も知らなかったわけですよ。それで飛びこんでしまったので、それ最初の1年は結構大変でしたね。

それで始めたのが、私の先生が芸能界の仕事とかも、いっぱいやっていたので、芸能界のタレントのボディーガードとか、政治家というのは本来ピストル我々持てないので、ほんとの体でガードするというのは、別に空手やっていたから、ガードできるという問題ではないので、それは最初のほうで行き詰まりじゃないけども、企画としては失敗だなということで、今度は著作権の警備というのもやったんですよ。

 

著作権というのは、ちょうどそのころ、ビデオレンタル店というのが流行り始めたころなんですが、今みなさん普通にビデオ借りていますけども、その時代というのは、ビデオレンタルというのは違法だったんですよ。全て。100%違法だったんですね。

簡単に勝手に、売っているものをレンタルしちゃいけないという著作権があるわけですよね。そのころはビデオレンタルというのは全て無認可でやっていたのを、初めて認可を下ろすビデオ協会というのができて、その下請けみたいなかたちで著作権を守るということで、全国のビデオレンタル、違法レンタル店の取り締まりということの代行でやっていました。

 

松本
違法レンタル店というのは、当時はすごいいっぱい出ていたんですか?
及川社長
出ていました。市場のなかではレンタル店が当たり前の時代になってきちゃったんですよね。

 

松本
何十社、何百社と
及川社長
ツタヤも、そのときに私は一番最初に許可を下ろしに行ったときに、まだ小さい。ほんとの小さなところに行ったこともありますね。

 

松本
そんな小さい。それはじゃあ、結構いい感じで。
及川社長
そうですね。割とまあまあ、だんだん、そこから軌道に乗ってきて、今度はそうなると、全国私が回っていたんですね。ビデオレンタル店、ほぼ一人で。

全国のビデオ店の調査をしているうちに、ビデオレンタルのノウハウを全部私が覚えちゃったわけですよ。全ての儲かっている店、儲かっていない店のやり方とか、だから、今度は、ビデオレンタル店をやらないかと、または、そのビデオレンタル店の卸業者がやってくれないかということで頼まれて、じゃあ、そちらのほうがいいでしょうということで、今度は、ミイラ取りがミイラじゃないんですけども、今度は、ビデオ売るとか、または、レンタルするほうに回っていったんですね。

 

松本
そのときは、もうビデオレンタルするというのはオッケーだったんですか?
及川社長
半分オッケーで、半分オッケーでない。メーカーによって、オッケーとオッケーではないのはありました。ただ、その時点だと、それはしょうがないだろうということでスタートしているというような、まだ業界が混とんとした時代でしたね。

 

時代の波に乗りバブリーな時代!

松本
それがあたったみたいな。

 

及川社長
実は、ビデオレンタルって、今以上にもっと人気があって、ビデオの特性として、細かな話になるけど、売ったものは売ったものではないので、また戻ってくるわけですよ。だから、利益率が高いんです。なくならないんですよ。簡単に言うと。

ずっとなくならないように溜まってくると、さらに、もう1店舗作る。タダで簡単に中身はそのままで作ることできますよね。そういった形でやるうちに、どんどん商品が増えてくる。商品が増えてくると、もう1店自動的にできるみたいな、そんな形でね、店舗が広がっていった時代ですので。

利益率がかなり7割8割、普通で言うと、今、2割3割あれば、儲けが大きいほうですけども、そのレンタルというのは8割以上が儲けになるので、かなり利益率でしたね。

 

松本
これ何年くらいやられていたんですか?
及川社長
そのビデオレンタル店はね、何年だったかな。3、4年くらいですかね。やっていましたね。4年くらいかな。

 

松本
でも、当時、僕も何歳くらいかな。多分中学校とか、高校そうかな。ビデオとか、CDとか、レンタルよく行って、すごい混んでいたのを覚えていますね。当時。それよりもっと昔ですもんね。
及川社長
そうですね。僕が、30数年前ですね。

 

松本
結構みんなすごい賑わっているような感じですか?
及川社長
もうすごいですよ。かなり美味しい時代ではありましたね。

 

松本
タイミング的にも良かったという。
及川社長
タイミング的に一番良いときですかね。時代の波にちょうど乗れたというときですかね。ほんとに商売というのは、ある程度、いいタイミングって、とても大事だとは思いますね。

 

松本
それ3、4年やって、それはなんで辞めたんですか?
及川社長
今度はですね。みなさん儲かるということで、どんどん今度、大手が今のようなツタヤのシステム巨大なお店ですね。だから、そのころは例えば、15坪、20坪でも十分採算の取れる店づくりだったわけです。商品もそれほどないですし、今、ほんとに40坪、50坪くらいの巨大なだんだんマーケットになってきましたよね。

 

それが地域にどんどん出来始めてきたんですね。だから、資本のある業界がどんどん出てきて、結局、じゃあ例えば、10坪の店と50坪の大型店どっち行くかというと、圧倒的にそちらに行っちゃうわけですよね。

そうなった場合、小資本の会社がやっていけないんじゃないかなと思いまして、そこで早めに切り上げなきゃと思って、まだ利益は随分出ていたんですけども、業種転換して、今度、その時代に流行ってきたのは、ファミコンなんですよ。ファミコンでも中古というのは結構、またさらに利益率が高いわけですね。だから、中古のファミコンショップみたいなのを、今度そちらのほうに移行していきましたね。

 

松本
それは辞める前に参入した感じですか。それとも辞めてから参入した感じですか?ファミコンのほうは。
及川社長
僕のは悪い癖があってですね。さっき言った、そんなに契約のこと分からないのに、いいと思うと全部捨てて次行っちゃう癖があるんですよ。それを毎回やっていたので。

今だったらね、絶対残しておいたほうがいいよとか、利益が出ている限り、残しておいたほうがいいよというアドバイスできるんですけども、そのころは一気に全部乗り換えちゃうやり方をやっていましたので、だから、全部捨ててというかたちでやりましたね。

 

松本
でも、撤退時期もしっかり考えて。

 

 

将来は手相と人相で見える・銀座の当たる手相占い師/後編

 

 

パーミスト  代表 及川 遼

起業コンサルタントであり、占い師という2つの顔を持っています。

千葉の津田沼出身。1959年1月生まれの山羊座58歳。転職&放蕩(借金)大好き??なオヤジと、それを支え献身的に働く母のもとに生まれ、星飛雄馬のちゃぶ台返しを、家庭で体験してきた幼少時代。女性に優しく男に厳しい今の性格は、その頃の家庭生活に秘密があったことに最近気づく。その頃の貧乏コンプレックスで、子供の頃からの“夢”は“社長になること。中学時代は禅や哲学、柔道、茶道、日本の道に凝る、かなり年寄りじみた若造時代。高校時代は、昼は真面目に吹奏学部の部長。裏の顔は、男の強さを求めて空手修行10年で3段を取る。

大学卒業してから人生でたった2年だけの会社員経験。小さな頃からの夢叶って、24才に独立。まずは日本初の対人警護専門会社、シークレットサービスを立ち上げ社長業のスタート。副業?で“便利屋(何でも屋)”も開業。やれば何でもできる!に開眼!そこで天性の“商才”が、花開く!!(笑)

ビデオレンタル著作権警備(これも日本初)も始め、後にミイラ取りがミイラになってビデオレンタル店を開業!それが大当たり!!18年間、毎年好きな車を買い替えるちょっとバブリーな生活。“今後は、エステが流行る!!”訳なく直感!!いきなり全てを捨てて、全く素人のエステ業界に転向!女性音痴の私が、否応なく女性の心理とエステの技術も学ぶ。

30歳から始めた手相は自称日本トップクラス。今まで2万人以上の恋と仕事の相談に乗ってきました。現在は、東銀座にオフィスを構え、結婚相談所と占い師、そして30年以上培ってきた実践的経営コンサルタントとして活動しています。
●心のコンサルタント・NLPマスタープラクティショナー
●心の解放とトラウマの除去・感情解放カウンセラー
●瞬時にトラウマを癒す・TFT思考場療法 アルゴリズムセラピスト
●天命を知る個性認識学講師
●手相、人相、気学、姓名判断などを得意とする占い師
●起業コンサルタント
天命『真理を探求し、真相を究明し、明徳を明らかにし、物事の本質を極める。人の笑顔を創る』