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本日のIDEAストーリー。ゲストは、有限会社ベルテンポ・トラベルアンドコンサルタンツ 代表取締役社長 高萩徳宗さんです。高萩さん、宜しくお願いします。
会社名の由来を教えて下さい。
後ろにくっついているアンドコンサルタンツなんですけども、今から18年前に会社を作るときに友人が「お前がやろうとしていることは、これから先、必ずコンサルティングの要素が出てくると、必ずお前のとこに教えをこいにくる人が現れるから、ただの旅行会社じゃなくて、後ろにコンサルタントってつけとけ」と言われて、登記に行く直前に無理やり、後ろくっつけたので、長ったらしい会社名になっています。
今どういった事業をされているか、自己紹介の方をお願いします。
ただ、福祉とか、介護の仕事をしているわけではなくて、私はヘルパーの資格も持っていないですし、何か介護的なサービスをやっているわけではなくて、うちの会社のキャッチフレーズというのは、
「ベルテンポは旅を諦めている人を元気にする旅行会社です」、「きっかけを作る旅行会社です」
っていうような、そういうキャッチフレーズで、手伝うというよりは、旅行に行けていない人たちに諦めなくていいんですよ、旅に行けますよって、そのきっかけを僕たち作りますからねという、そういう旅行会社なんですね。
なので、旅行商品を売っているとか、ツアーを売っているとかいうよりは、私たちはお客様に旅に出てほしいというきっかけとか、あと、旅行ってこういうふうに旅するんですよねというような考え方に共感してもらえるような、そういう旅を作りたいというふうに考えて実行しています。
お客さんの声はどんな声が多いですか?
だから、お客様が旅行をやめてしまう理由というのは、例えばある旅行者のツアーに参加してみたら、忙しすぎて自分が足手まといになっちゃったとか、思ったより階段が多くて辛かったとか、そういうことを原因として旅行に行くことをやめてしまう方が圧倒的に多いので、我々は時間にすごくゆとりを持たせて、臨機応変に対応したり、あと食事も割と自由がきくというか、今日は1食パスしますとかも、うちは全然ありなので、そういう臨機応変さみたいなところがいいのかなと。
あともう一つは、初めてのお客様には旅のカルテと言って、お客様の病院のカルテみたいなお客様の状況をお伺いするシートがあるんですけども、そこに食事の好みだったり、トイレが近いとか、お布団だと眠れませんとか、そういう割と細かいことをうちは聞くので、それを全部旅行に反映させることができますから、お客様の声としては、ベルテンポさんというのは、私たちのことを分かってくれている旅行会社だというふうに評価はいただいていますね。
あと、うちの母はちょっと食事はみんなと食べるの苦手なのでパスしますとかいう、割と個別に細かいアレンジは加えているので、全体としてはみんなで旅行するんですけども、みんなで旅行する楽しさと、あと個々人の自由がきくというんですかね。
夕飯も肉は駄目な方は、別に魚食べればいいと思いますし、量が半分でいいという方は、量は半分減らしますし、同じテーブルで食事はしているんですけども、食べているものは違いますね。
他社が例えば、30人とか、大型バス1台とかって行くところを、私達の旅行はそれこそ6人とか、8人とか、10人だとうちは大型団体になるんですけども、先週カナダ行っていたんですけども、カナダはお客様2人ですね。2人に私がくっついていくという。非常に小さい単位で、家族とか、親戚旅行くらいの単位で旅行しますから、そういう意味ではコストは高くなるんですね。だから、旅費は通常の旅行よりは高いんですけれども。
驚異のリピーター率【97%?】
なので、うちは特別なことは何もしていないです。ただ、お客様からすると、「そうそう、私たち、こういう旅行したかったのよ」という旅行を、私たちは作っているということですよね。だから、逆に言うと、1度うちの旅行参加されたら、他のツアーなんか、多分行けないと思いますよね。いわゆる、既製品のツアーですよね。あてがいぶちの旅行には、多分もう参加できないと思うので。
この事業をやろうと思ったきっかけは?
若気の至りですごくいい会社だったんですけども、小田急を飛び出してしまって、カナダに2年くらい放浪しながら、向こうで働いていたんですけども、そのときに日本ってすごくいい国なんだけれども、カナダから日本見たときに、日本という国がちょっとなんていうんですかね、すごい窮屈で個性もなくて、なんでみんなこんなおとなしく、日々過ごしているんだろうという思いをしながら、日本に戻ってきて、中途採用で日本旅行という大手の旅行代理店さんに拾ってもらって、たまたまパッケージツアーの企画をすることになったんですね。
いわゆる、旅行代理店さんに並んでいるツアーのパンフレットを作る役を与えられて、私は海外を担当して、アジアと中国をやっていたので、例えばアジアでいうと、香港とか、シンガポールとかいうような、ディスティネーションのパンフレット、いわゆる、フライヤーというか、チラシですよね。
企画担当としては、ほんとに現地に下見に行って、現地のいいところを抑えて、とっておきの旅を作って、お客様にご提供できれば理想なんですけども、現実的にはただの価格競争なんですよね。香港4日間というと、相場があって、5万9,800円、じゃあ、こっちは4万9,800円、キャンペーンだから、サンキュッパだみたいな、結局、同業他社がしのぎを削って、どんだけ安くできるかみたいなところで勝負をしている世界だったんですね。
商品企画会議という会議があるんですけども、部長と課長と我々平社員が会議するんですけども、我々は若いので夢や希望を語って、こういうツアー作ったら売れるんじゃないかな、お客さん喜ぶんじゃないかなと思いはあるんですけども、上司が我々に言ってくるのは、ただ一つ、どんだけ安くできるんだと、他社がいくらで売っているんだった、あといくら引けるんだということしか言ってこないんですよね。
すごく私的にはむなしいというか、そこじゃないよなと思いながら、抗議もするんだけど、上司としては、「お前が言っているのは理想だ、俺たち理想じゃ飯食えないんだ、もっと現実見ろ」って言われて、確かに、反発はしたんですけど、そういう現実って、要は、他社比較、料金を徹底的に比較して、その中で最安値をつける行為をきちんとできれば、爆発的に売れるんですよね。
やっぱりお客さんよく見ていますから、いろいろ比較する中で一番安い商品を買いますから、それはそれは大ヒットもするわけですね。大ヒットすれば、会社からも表彰されたりするわけですね。でも、実際に、お客様送り出して、戻ってきて、そのお客様から寄せられるアンケートハガキのお客様の声というのは、ほぼほぼ100%がクレームなんですよね。飛行機の時間帯が悪いとか、ホテルがしょぼかったとか、市街地から離れている、食事が美味しくない、ガイドの日本語何言っているか分からない、観光と称してお土産屋ばかり連れていかれるとか、散々な書かれようなんですよね。
確かに、旅行商品というのは安くて良いものというのは絶対作れないですから、安ければ、それなりですよね。値段を下げるためにはいい意味で言えば工夫ですけど、悪く言えば、サービスを抜き取っているわけですよね。骨組みを抜き取っていくことで、コストを抑えることでしか、価格って安くできないですから、もちろん満足度が高いものは作れないわけですよね。
だから、値段を下げれば下げるほど、それに反比例して、クレームが増大していく、そのクレームに対応しなくちゃいけないので、お詫び状を書いて、粗品やら返金やら、ときには頭を下げに行くという、企画担当者として何をやっているんだろう、俺はという、理想と現実の間に挟まれて、すごくジレンマを感じていたんですね。
でも、周りのサラリーマンである先輩や同僚は、そんなもんだと思って、何も考えずに割り切って仕事している感じだったんですよね。でも、私も悶々としていたんですけど、そんなとき、あるときふと、会社に1通のFAXが流れてきて、そのFAXをたまたま私通りかかったので、手にしたら、車椅子の方がツアーに参加したいと言っているんだけど、あなたの会社のツアーで受け付けてもらえますかって、代理店さんからのFAXだったんですね。
私は、へーって思って、障害者の人って、旅行なんか行こうとするんだというね、すごい失礼な言い方なんですけども、私は障害者の人が旅行するなんて思ってもみなかったんですね。それはなんでかというと、自分が今インチャージしている、実際の企画しているツアーに障害者の人の参加はゼロだからなんですね。へーって思って、担当のところに持っていったら、担当はすぐにお断りの返事をしていたんですね。
私は、いやちょっと待ってと、これ旅行行きたいと言っているんだから、なんかうまく工夫して申し込み受け付けてあげれば売上になるじゃないかってね。私は優しい心とか、善意の気持ちとかじゃなくて、単に数字を持っている、ノルマがある一人の人間として、売上をロスするのはもったいないと思ったんですね。
見たら、4人でも100万や、150万なるんだから、受けてあげればいいじゃんと思ったんです、担当は断るってね。なので、いや、ちょっと待ってよって、いつも喧嘩ばかりしていた課長がいるんですけど、S山課長いう課長がいて。
だから、体よく門前払いするわけですよね、そういうことを。なんか納得いかないなと思いながら、でも、自分の担当エリアじゃなかったので、それはそれで終わったんですけど、すごい悶々として、家帰って調べたんですね。障害者の人は旅行はどうしているんだろう。そしたら、当時、日本にはまだ障害者向けというか、バリアフリーの旅行代理店って日本にはなかったんですね。
それは何年くらい前ですか?
そしたら、英語で検索をかけたら、今でいう、ベルテンポみたいな、障害者向けのスペシャルニーズに応えるエージェントみたいなのが、100社くらい、ばーっと検索で出てきたんです。びっくりして、なんじゃこりゃと思って、いわゆる、バリアフリー旅行代理店みたいなことうぃ英語では、スペシャルニーズと言うんですね。特別な配慮。
だから、障害者とかじゃなくて、配慮を必要とする人のためのエージェントというのが、アメリカにはたくさんあって、その中に1個あった、ものすごい今でも印象に残っている旅行会社が、トラベルオキシゲンというね、酸素旅行株式会社ですよね。キャッチフレーズが「あなたの酸素を世界中に送ります」というコピーで、在宅酸素の人専門の旅行代理店なんですよ。
酸素吸入を24時間必要とする患者さん。日本でも酸素持ち歩いてカラカラ引っ張って、ここカニューレというんですけどね、鼻から吸入してやっている人っているんですけど、こういう人たちって旅行するのがすごく大変なんですね。酸素が24時間手放せないんですけど、飛行機って酸素をつめないんですよ。
飛行機に乗るときは酸素って航空会社から買うんですけど、向こうに着いたときに酸素がないんですね。だから、その酸素を予め送っておかないといけない。日本の在宅酸素の患者さんは、全部それを自分でやるんです。面倒くさいじゃないですか。それを請け負うスペシャリストとしてのエージェントが業として成り立っているんですね。アメリカは。
そのくらいニーズがあるんですよね。それを見たとき電球がポンとついて、これだと思って、企画書書いてですね、10年後は絶対こういう時代がくるから、こういう人たち向けの旅行をプランすべきだと思って、企画書作って、またS山課長のとこ持っていったら、次の日、でもすごい悲しそうな顔をして、課長は一言、「もう勘弁してくれよ、俺もサラリーマンなんだよ」と言われて、そうだよなって、ちょっと思ったんですね。
大手、大きい会社はこういうの苦手だよなと思って、またいろいろ探していたら、日本でボランティアグループが出てきて、障害者と一緒に旅をしようみたいな。なんでもいいやと思って、連絡取って、「すみません、勉強させてください」って言って、飛び込んで、結局そこは障害者の人が旅行するための介助者を募集していたんですね。
旅行行きたい障害者の人はいっぱいいるんだけど、介助者が圧倒的に足りていない。私なんかは連絡したら、「男手足りなくて助かるよ。すぐ来てくれ」って言って、生まれて初めて、そのとき障害者という人と出会い、生まれて初めて車椅子というものに触ったんですね。興味も感心もなかった。
それはまだ勤めていたんですか?
でも、もっとそこで気づいたこと、気づかされたことは、障害のある方と一緒に旅行していて、いろいろその方のお世話をして、脳性麻痺という方の、重度障害の方のお世話をしたいんですけど、自分では何もできないので食事を口に運び、着替えもトイレもお風呂も手伝って見よう見まねでやってたんですけど。
夜一緒にお酒を飲んでて、彼自分の手は使えないので、ビールとか、日本酒にストローさして、ほんとよく飲むんですけど、だけど、私の方が酔っ払って、先に寝ちゃったんです。夜中の2時くらいだと思うんだけど、夜、彼に叩き起こされて、「高萩、起きてくれ、起きてくれ」って言われて、びっくりして、飛び起きて、私お手洗いの介助だと思って、「ごめんなさい、寝ちゃいました、お手洗いですか」って聞いたら、「喉乾いたからビール飲ませてくれ」って、夜中の2時に言われた。
ふざけんな、てめえ、このやろうと思って、お前なんだと思っているんだと、大喧嘩して、大喧嘩というか、私が一方的に罵倒しただけなんですけど、障害者だと思って、甘えているんじゃないと思って、無視して寝て、次の日は頭きたから、彼を無視していたんですね。
彼は障害が重いから、手伝ってもらわないと、自分では何もできないので、ベットの上で寝た切りですよ。私は知らん顔して、彼に謝らせようと思ったんですね。一言謝ってほしかった、「昨日悪かった、夜起こして」って言ってほしかった。
でも、無視していたら、彼がすごく意外なこと言ったんですね。「高萩な、俺たち障害者だって、お前らにいちいち頭なんか下げて、旅行したくないよ、俺たちだって、普通にお金払って、一人の旅行客として旅行したいだけなんだけど、今の日本には、旅行会社に申し込んでも断られる、じゃあ、自分で個人旅行しようかと言っても、切符取って、ホテル取って、車手配して、そんなできない、なので、俺たちには旅行に行く選択肢がないんだ、こういったボランティアグループに所属して、すみません、僕たちを旅行に連れていってください。旅行中も、すみません、すみません、ありがとうって、頭を下げながら旅行するしか、俺たちは選択肢がないんだ、俺たちだって、普通に旅行したいだけなんだよ」って言われたんですね。
私はそのときにガーンと頭を殴られて、偽善者ですよね。自分の休みにお金払って、すごいいいことをしている自分だと思っていたから、そういう上から目線だったんだけど、実は彼らの思いというのは全然違うところにあって、ガーンと頭を殴られて、でも、閃いたんですね!
そうか、そこにいた障害者の人たちに、「日本にはこういう会社がないみたいなんだけど、もし日本にバリアフリー専門を扱う会社があったら、みなさん旅行に行きたいんですか?」って聞いたら、みんな行きたいに決まってるさと。これが私の唯一のマーケティングリサーチですよね。20人くらいに聞いたのが。
もうこれやんなきゃと思って、会社行って、S山課長のとこ行って、「お話しがあります」って言って、「実は退職させてください」って言って、辞表を持っていって、このときのS山課長の嬉しそうな顔は一生忘れられないですけど。
「辞めるのか、お前」とか言いながら、すごい嬉しそうにしていたんですけど。でも、S山課長はそのあとすごい応援しに来てくれてね、会社辞めてもずっとお付き合いあるんですけど。
辞めて、会社作ろうと思って、会社の作り方とか本を買って、法務局とか行くんだと思って、法務局行って、登記しようと思って、「すみません、会社を作りたいんですけど」、「会社名」は、「そんなの全然決まっていないんですけど、こういうことやりたいんですよ」って、法務局行って、プレゼンを始めたらですね。
「会社名がないと登記できません」と言われて、そうなんだと思って、引きさがってきて。困ったなと思ったら、広告代理店、パンフレットを作ってくれた広告代理店の社長さんが、僕会社名プレゼントしてあげるよって、イタリア語の単語を20個くらいFAXくれて、ベルテンポというのが、ぱっと目に入って、「良い天気」「良いときを過ごす」と書いていたので、これが旅行会社だから、これでいいやと思って、次の日にまた法務局に行って、とにかく会社作っちゃったんですよ。
今、自分が社長の立場になったから分かりますよね。正論で論破してきて、正しいこと言う部下って、ほんとに嫌ですよね。私言っていること正しいんですもん。だけど、課長は中間管理職として、自分で勝手にできないから、「お前、言っていることは分かるけど、無理だよ、うちの会社では」っていう、そのぶつかり合いだったんですよね。でも、私は若かったから、正しいことがどうして通じないんですかという、そういう感じでしたよね。
最初は宣伝は、そういう障害者向けのところに?
会社名決めて、事務所借りて、登記しただけですから、何もないです。何もない。一人ちょっと手伝ってもらった女性、日本旅行時代一緒に働いていた女性がいて、創業のときに手伝ってもらっていたので、二人で始めたんですけど、何もない、FAXと、文字通り机があるだけで、何もないんですよ。もちろんノウハウもないし、誰も知らない。仕事がないという状態で始めたんですよね。でも、そのときに、なんだろうな、営業しようとか思わなかったんですね。不思議なんですけど、そっか、知ってもらうには営業が必要なんだということにも思い至らなかった。
そしたら誰かが、この人会社作るらしいですよみたいな話になって、聞きにきて、実はこうでこうでこういう会社作ろうと思っているんですと言ったら、絶対うまくいかないと思ったんですって、その後から聞いた話なんですけど。確かに会社を作ると言ったときに、それはすごいアイデアだねと言った人はもちろん一人もいないですよね。
当時、今から20年近く前に、障害者からお金を取って商売するとか、お前頭おかしいんじゃないのってね、あの人たちは、お金、だって、福祉でしょ、ボランティアでしょ、だから、障害者の旅行というだけで、イコール、ボランティアみたいな、そういう意識が蔓延、まだ介護保険もない時代でしたからね。「お前大丈夫か」みたいなことをみんなから言われたんです。
でも私は、一緒に旅している障害のある人たちは、「いやいや、私たちお金払ってでも、旅行行きたい」って言っているよねということだけを信じて、会社を作ったんだけど、その読売新聞の記者さんが、あまりにこれは可哀相だから、記事にしてあげようと思ったらしくて、記事を書いてくれた。ほんとに小さいベタ記事を書いてくれて、その中に私の丸い顔写真があるんですけどね。取材受けて、もう忘れていたんですよ。
そしたら、ある日、会社が何週間後か、1ヶ月後か忘れましたけど、電話が鳴ったんですよ。電話なんか鳴らないんですよね。電話が鳴ったんですよ。なんだろうと思って取ったら、「おたくは障害者の」、「そうですけど」みたいな、電話切ったら、また電話が鳴ったんですよね。
なんだこれと思って、「うちの会社どこで知ったんですか」、「何言っているのよ、今日の読売新聞」と言うから、今日掲載なんだと思って、買いに行ってもらって、ほんと小さいんですよ。だけど、全国紙に出ていたみたいで、その日は朝からずっと電話が鳴りっぱなしで、でも、1回線だけなので、取れば、鳴り止むんですけど、でも、とにかく話長いんですよ、旅行行けない人って。
なぜ自分が旅行に行けないかの人生を語り始めるので、とにかく資料送るので住所だけ言って切っていいですかって言って、電話切ったので、結局その日は朝8時半から、夜の9時過ぎくらいまで二人ともトイレも行けないくらい、1週間、2週間くらい電話鳴り止まなかったですけど、150件くらい電話かかかってきましたね。受注率が高いんですよ。だから、問い合わせて資料送った人、みんなお客さんになるんですよ。遠くの人は別ですけどね、
みんな旅行行きたくてしょうがないから、次のプランなんですかって言うんですね。でも、プランなんか何も作っていないんだけど、じゃあプラン作ろうっていって、「どちらへ行きたいんですか?」、「どこでもいい、病気してからどこも旅行行っていないので」、「いつがいい」、「毎日日曜日は暇だから、いつでも、明日だっていい」と言うんですね。「ご予算は?」、「いくらでもいいんですよ」って言うんですよね。
いまどき景気の悪い時代にどこでもよくて、いつでもよくて、いくらでもいい、何よそれと思ったんですけど、でも確かに、プラン作ると、申し込んでくれるんですよ。作ると申し込んでくれる、当時は大きいことなんか考える余裕もなかったから、箱根に温泉に入り行きましょうとかね、新宿で美味しいホテルでランチを食べましょうとかって、ささやかなプランですよ。でもほんとにそういうプランを郵便で送ると、申し込み書が返ってきて、申し込み来たよねみたいな、ほんとそんな感じでしたね。
今でも忘れないんですけど、一番最初に申し込んでくれたお客さんというのは、その新聞見て問い合わせ来てくれた、中野区の都営住宅に住むおばあちゃんから電話かかってきて、うちのおじいちゃんが車椅子でね、温泉入りたい、温泉入りたいって言っているんだけど、どこでもいいから連れてってくれませんかというのが依頼だったんです。
実際に訪問して、お邪魔してみたら、都営住宅の入り口、階段が5段くらいあって、「私は年寄りだからね、この5段の階段を下ろせないから、うちの主人はもう全然外出ていないんです」と言うんですよね。福祉タクシーをチャーターして、じゃあ、箱根でも行きましょうかと言って、箱根の温泉日帰りで行って、お背中を流して、ご飯食べて帰ってきたというのが最初の仕事だったんです。忘れもしない。
そういうノウハウというのは、思考錯誤で?
旅行に行けていない人は何か不安なことがあったり、不便を感じていたり、今までちょっと出てはみたものの、すごいストレスを感じていたことがあって、旅行に行くのをやめているということに気がついたんですね。この三つをひたすらヒアリングするようになりましたね。だんだん進化していって、それがヒアリングシートになって、今に至るんですけど。
その読売新聞がもしなかったら?
でも、チラシ持って営業行った方がいいんじゃないとか、そういう発想はなかったですよね。ほんとにね、良くも悪くも、今思えば良かった。あのとき営業に出ていたら、御用聞きになっちゃっていましたよね。だからそこで旗を立てたのは結果的に良かったと思って、旅行に行けない人集まれって、旗を立てて、集まって来た人に、どうして行けないんですかって聞いて、その通りに、じゃあどうしたら行けるんですかという通りにサービスを作り込めば、これが望んでいるサービスであることは間違いないですよね。100%正しいですよね。
だから、私は思いこみがないから、私が福祉とかの勉強していたら、多分、先入観とか、バイアスがかかったと思うんですよね。ピントずれたことになるんじゃないかと、今でもよく言われるんですけど、なんでベルテンポはいつもご愛顧いただけている、今でも聞くんですよ。根掘り葉掘り聞くんですけど、リピーターの人にもいつも聞きます。またその質問するのと、でも聞きます。
自分たちはできるんです。ただ時間がかかると、ボタン一つ留めるのに時間かかるから、自分でやりたいんだけど、そのボタンを留めるための時間がほしい。だけど、大手の旅行会社はボタンを留めてあげるのがサービスだと思っちゃうんですよね。お風呂に入れてあげるのがサービスだと思っちゃう。
けど、うちは入浴の介助って今はしていないんですけども、お風呂は僕は手伝いませんと、ご夫婦とかね、同行者でなんとかしてください。もしなんともならないんだったら諦めてくださいと言っちゃうんですね。なぜならば、一晩くらいお風呂に入らなくても、旅ってもっと楽しいことたくさんありますよねという価値観を今は伝えている。
なので、旅の考え方とか、スタイルって、先ほど言ったのは、我々が何か手出しをするとか、何かサプライズ的なサービスをするんじゃなくて、お客様が望んでいることを形にするというのが一つと、もう一つはこういうふうな考え方がお客様が望んでいることですよねという確認を続けることだと思うんですね。
私こう思うんですけど、お客様どう思います。私は3箇所、4箇所、観光地回るよりも、1箇所でゆっくりした方がいいと思うんですけど、どう思いますというふうに、お客様とコミュニケーションのキャッチボールを取りながら、お客様が望んでいることを引きだすようにしていますね。
お客様も涙流して喜んでいるのに、なんで通帳の残高は増えていかないんだろうというのは分からなかったです。そしたら、あるとき、あるおばあちゃんから、旅行の見積もりいただいて、見積もり出したんですね。
それご自宅まで持っていたんですけど、そしたら、見積もりを見たおばあちゃんが一言、「あんた馬鹿じゃないの、駄目よ、こんなの」と言われて、私びくっとして、高いんだと思ったら、「こんな値段で、あんた会社やっていけると思っているの」って、驚いたんですね。
「どういうことですか」って言ったら、「あんた、こんなんじゃ、全然会社儲かっていないでしょう、今儲かっていないでしょう」と言うから、「儲かっていません」とね、「駄目よ、こんなのやり直し」とかって言われて、やり直しの意味が分からなかったですけど、もっと高く書いてこいと言うんですね。
しょうがない、一度引き下がって、また持っていったんです。ちょっと高くして、そしたら、「何もあんた、言っていること分かっていないのね。駄目よ、こんなんじゃ」と言われて、安いってことですかって言ったらね、「あんたね、私たちにとって、あなたたちみたいな旅行会社はなくちゃ困るの、店舗が潰れたら困るのよ、ちゃんと儲けなさい、やり直し」って言われて、3回書き直しさせられて、4回目で、「しょうがない、ほんと分かっていないから、今回これでいいわ」とかって言って、最初の値段よりもかなり高い値段で見積もりを受け取ってもらったんですね。そのときに、安すぎたんだと思ったんですね。
もう一つ、それと同時に、全然儲かっていないときに業務多忙で全くお金が残らないときに、気がついたのが、旅行が終わると、みんな感謝して、抱き合ったり、涙流してくれたりして、喜んでくれるんですね。お客さんが「高萩さん、ちょっとちょっと」とかって、お年寄りが私を呼ぶわけですよ。行ったら、「高萩さん、これ取っておいて」とかって言って、ちり紙に包んで、よこすわけですよ。
「いやいや、困ります、困ります」とか言いながら、ちゃんと貰いますよ。もちろん貰います。「いやほんと困ります」とか言いながら、貰って、もちろん解散したあと、すぐに開けますよね。いくら入っているんだろうとかね。そしたら、1万円とかね、3万円とか入っているんですよね。金額が大きい。なんじゃこりゃと思って、でも、助かったと思って、事務所の仲間と助かるねと言いながら、でもあんまりそういうことが続くから、違和感があったんですよね。なんかこれ違うよなってね。
思ったんです。そのおばあちゃん事件があって、お客様払いたいんじゃないかと思って、ちょっとずつ旅行料金上げていったんです。だんだんだんだん旅費を上げていったら、あるタイミングまで旅行代金が上がった時点でチップがなくなったんです。パタっと止まったんです。これがお客様の値ごろ感なんだと思ったんですね。そのチップをくださるお客様に聞いたんですよ。ほんとに十分お金いただいているので、こういうことあったら、払い足りてないと言うんですね。
私たちはこんなに良くしてもらって、安すぎるって言われたんです。「そうですか、ありがとうございます。じゃあ、もっと高くします」って言って、だんだん高くして、それが私は心理的抵抗価格っていうものがマーケットプライスというものがあるとするならば、お客様が気持ちよく払って、サービスを受けられる価格と、私たちがちゃんと利益が出る価格というのはね、どこかに、クロッシングポイントがあるんだなって、そのときに気がついたんですよね。
でも、これって、京セラの稲盛さんが値決めは経営っていうところで奇しくも言われていることに、後から気がついたんですけど、お客様が喜んで、私たちも喜ぶクロッシングポイントが必ずある。値決めこそ経営だって、本に書かれていたのは多分、私が体感したのはこれだなって思ってですね。
それ以来、旅費をちょっとずつ上げていきながら、私達が笑顔で余力を持って、会社が運営できる値段っていうものをお客様にご理解いただくという、そういう値付けを今はするようにしているんですね。だから、同業他社の値段は見ていない、気にしていないですね。お客様の方を向いて、請求書をバっと出せる価格を自分たちとして決めているという感じですね。
でも、そういう値段つけると不思議なもので、高いという人も中にはいるんですよね。その辺にあるパンフレットと比べて高いじゃないかと文句を言う人もいるんですけど、ある値段を超えると、クレームはなくなるんですよね。残念ながらついてこれないお客さんも、もちろんいるんですけども、その価値を理解してくださるお客様だけが最終的には残ってくださると思いますけどね。
大きく増えもしないので、うちはリピート率が高いので有難いんですけども、新規のお客様に知らせる手立てというのは引き続き営業ってあんまりしていないので、そこはうちの大きな課題なんですけど、やっぱり新しいお客様を取りこんでいかないと、ご高齢の方ってやっぱり亡くなられる方とか、旅行に行けなくなる方もいらっしゃるので、そこはうちの課題ですね。
テレビ番組「ガイアの夜明け」に出演!
多分サービスとか検索したら出てきたと思うんですけど、断っていたんですよ。嫌だから、ずっと断っていたんですけど、あと取り上げられ方を間違えると、すごい迷惑するんだよね。すごいいいことやっています。慈善事業で、福祉とか、障害者とかってね、そういうの嫌なので、ずっと断っていたんですけど、向こうも結構ムキになって、断られるとムキになるみたいで、「絶対そういうキーワードは使いませんから、あくまで究極のサービスとか、おもてなしでいきます」って言うので、「じゃあ、いいですよ」って言って、取材を受けたんですね。
ガイアの夜明けは今考えると、その前にNHKといくつか出て、NHKって面白くて、最初、教育テレビの福祉ネットワークというのでちょっと出演依頼があって、1回それに出たんですけど、NHKって前例主義なんで、あれ面白いですよね。
1回出演するとデータ登録されるんですね。他の番組のディレクターが探していて、引っかけるんでしょうね、旅行、障害者。結構、生活ホットモーニングとか出て、結構取材がずっと続いて、結構番組出た時期があって、それがちょっと落ち着いたら、ガイヤの夜明けが来て、嫌だなと思ったんですけど、受けることにして、OKしたら、読売新聞の比じゃないですね。あれはお化け番組ですよね。会社ぐちゃぐちゃになりましたよね。
1分間に200件の登録!
さすがに夜は電話かかってこなかったんですけど、次の日の朝、これは大変なことになるなって、早めに会社に行って、また彼女と二人でスタンバっていたんですけど、もう3週間くらい昼飯食えなかったですよね。凄かったですよね。でも、あれ面白くて、別に電話番号が出るわけでもないじゃないですか。
だから、私も面白くて、電話に出て、「昨日はガイアの夜明けを見て」と言うから、「ガイアの夜明け見たのは分かるんですけど、うちの会社をどうやって、この電話番号調べたんですか」って言ったら、おばあちゃんとかに聞くわけですよ、ネットなんかできないから。
そしたら、とにかく、ガイヤの夜明け、ガイヤの夜明けって電話かかってくるから、「どうやってうちの会社の電話番号調べたんですか」って聞いたら、テレビ局に電話して聞いたわけですよ、テレビ東京ね。テレビ東京に電話して、この会社の電話番号聞こうと、おばあちゃんは思うわけじゃないですか。テレビ東京の電話番号ってどうやって調べると思います?
親切ですよ、テレビ局はと、そういう話を逆に聞くんですけど、へーみたいな、でも、そうやって多分、500件くらい電話かかってきましたね。電話を取れた分だけでも。
最初の四半期で1年分の売上いったくらい、爆発的に売上伸びちゃったので、それはその年の売上たるや凄かったですよね。だけど、今までのベルテンポをご愛顧いただいたお客様からすると、グチャグチャなんですよね。いろんな人が来ちゃっているので、良い人も、悪い人も、変な人もいっぱいいましたよね。半年くらい、1年くらいしたら落ち着いたんですかね。
落ち着いて、テレビも善し悪しだよなと思ったんですけど、でも、今、ずっとリピートして、今も旅行しているお客様に、何がきっかけだったっけななんて言って、お客様に、「どうやって知ってくださったんだっけ」と聞くと、「何言ってんのよ、ガイヤの夜明けよ」と言う方が大勢いらっしゃるので、あの番組に救われたという人が大勢なんですね。
たまたま、あの番組いつも見ているわけじゃないけど、たまたまあの日はつけたまま寝ていて、目を覚めたらやっていたのよとかね、そういう話を聞いて、あの番組と出会わなかったら、私は寝たきりになっていたという方がゴロンゴロンいらっしゃるので、テレビは出ておくものだなと、ちょっと思ったりもしたんですけどね。
(有)ベルテンポ・トラベルアンドコンサルタンツ 代表取締役 高萩 徳宗 1999年に日本初の障害者、高齢者向け旅行代理店である、有限会社ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツを創業。「障害」を福祉的発想で捉えずに、「サービス」の観点から追求し、表面的な見掛け倒しのサービスではなく、真の意味での「お客様視点」とは何かを意識した取り組みが注目されている。「ガイアの夜明け」(2007年/テレビ東京)では、リッツカールトンと共に「究極のサービスを提供する会社」として紹介もされた。講演では、「おまけや値引きはサービスじゃない」をテーマに、サービスの意識改革セミナーが好評。多くの実例を元に具体的なサービスへの提言を行う。また、バリアフリー旅行の第一人者として、街づくりや店づくりのユニバーサルデザインについても分かりやすく解説を行う。 著書:「サービスの教科書」「売れるサービスのしくみ」「サービスの心得」「サービスを安売りするな」「いい旅のススメ」 |