起業家のストーリーを追体験してもらおうという無料のインタビューサイトです。
このサイトでは、これから起業に興味のある方に向けて、成長のサービスを展開されている方、面白いサービス、商品を出されている方、各分野の実績を出されている専門家の方々にインタビューということで、各スペシャリストの方にお話を伺ってしまおうというような内容で、毎週お届けしています。
本日のIDEAストーリー。ゲストは、久米繊維工業株式会社 取締役会長 久米信行さんです。久米さん、宜しくお願いします。
自己紹介をお願いします。
Tシャツで一番多いクレームとい うのは、襟が伸びちゃったとか、すぐへろへろになるという話ですけども.例えば、私たちのTシャツで 一番贅を凝らしたものの一つに、色丸首とあるんですけども、1万円以上しますが、100回着ても、全然大丈夫なので。
あと二番目は環境です。残念ながら、綿花というのは、日本には田畑がないから、ちょっと分かりづらい んですけども、海外でものすごく農薬をたくさん使って作られているんですね。ですから、なるべくオーガニックコットン使おうと思ったり、あとは、電気を使う、生産のときに電気を使うんですけど、それとグリーン電力を使って、風力とか太陽光とかバイオマスとか地熱とか、そういうものを使って、なるべく地球環境に負荷のないような作り方をしている。これが二番目の特徴です。
三番目が一番の特徴かもしれませんけども、文化の品質で、Tシャツは昔で言えば、一方的にデザイナーが作ったもの、ブランドが作ったものを受け身で着るものだったんですけど、私たちのお客さんの多くは、自分でTシャツをキャンバスにしてデザインしたいという方ですから、その方々をサポートするということで、例えば、このファクトリーショップも10枚の展示会がいつもできるように、クリエイターの方に開放していますし、自分のブランドを立ち上げて、ネットで販売したい、あるいは、イベントをやりたいという方もサポートをするというような形で。
例えば、VAN JACKETさんとか、JUNさんとか、大人気ブランドをみんな着て、同じものを着て、喜んでいたんですね。今はそうではない。例えば、プロシューマーという言葉はご存じですか。アルビン・トフラーって、この前亡くなった未来学者が、ちょうど私が小さいころに予言したんですけども、一方的に物を買うんじゃなくて、自分で着たいものをプロデュースするようなコンシューマーが出るということで、プロシューマー。
今はまさに私たちのお客さん、そういう方が多くてですね。自分でデザインしたものをTシャツにして、自分で着て楽しむどころか、それをネットで販売したり、イベントで使ったり、フリマで売ったりするような方が多いです。
どんなお客さんが多かったりするんですか?
何か好きなことを、タモリクラブに出たりとか。そういう人たちが自分の好みでTシャツをどんどん作ってくるということです。
一番象徴的なのは、砂浜美術館Tシャツアート展というのが、毎年ゴールデンウィークのとき高知県の砂浜で開かれるんですね。四万十川のほとりの砂浜で、砂浜美術館と言っているけど、建物がないんです。そこには、千何百枚のTシャツがはためくんですけど、一つとして同じデザインがありません。
なぜかというと、みなさんが自分のデザイン、例えば、自分が撮った写真でもいいし、お子様が描いたラクガキでもいいんですけれども、それをネットで応募すると、それが私たちが作っているオーガニックコットンのTシャツに1枚ずつプリントされて、千数百種類がはためくというものなので。
この仕事を始めたのはいつ頃ですか?
Tシャツはもともとは下着みたいなものですよね。だから、下着を着て外を歩くなんてことは、昔は想像できなかったわけですけど。戦後アメリカの文化と一緒に、Tシャツが入ってきて、父は映画少年でしたから、マーロン・ブランドとか、ジェームズ・ディーンを見て、これはかっこいいというので、Tシャツを作り始めたというところですね。
だから、このままただ後継ぎになったら大変だということで、まず中国経済を大学で学び、そして、普通だったら、私のような後継者の場合は、アパレルに修行に行ったり、商社に修行に行ったりするんですけども、同じ業種に行っても、多分、新しい知恵出ないということで、ベンチャーに行こうということで、イマジニアという創業期ベンチャーに行ったんです。これは、ファミコンゲームメーカーです。今は携帯コンテンツのね、配信会社ですけど、そこに創業第一期で入って。
それで面白い会社がたくさん回っていて、ミサワホームも当時、元気な会社。新しい、まだベンチャーだったころ。成功したベンチャーだった頃だったんで、そこに行ったときに、イマジニアという子会社が出来るというので、社長に会って、そして、言われたのが、「コンサルタントになってもね、多分、ほんとに意味の経営は学べないぞ」と、「馬には乗ってみろでね、実際に、そういう企業時の現場に立ち会うべきだ」と言われて、なんの業種か分からないままに、社長と握手して、そこに入ったんです。
良かったことは、マニュアルも何もない会社、顧客リストも何もない会社だったので、飛び込み営業から始まって、そして、会社の中の組織割もないから、昼は営業、夜はゲームづくりという、普通だったら有り得ないですよね。全然別のセクションです。物づくりと販売は、その両方を私は立ち会えたし、あとは、広報部隊もいなかったので、電話取って、取材だったら、自分が受けるみたいな会社だったんですね。
こういうイベントのときは、こういう確率で、AとBの結果がどのくらいのパーセントで出るなんてことを考えていくわけなんですけども、株式必勝学というゲームを作ったんですけども、経済の知識はありましたから、それに物語を絡めながら作っていくのは、ものすごく面白かったんですね。
何より良かったのは、自分が作ったものを自分で売るということをやったことです。多分、起業家の方も、これからご商売始めるときには、人手がいませんから、自分で作って、自分で売るということをやりますでしょう。
どこら辺が面白いって感じましたか?
当時、ファミコンの仕入れはすごく難しくて、返品なしで、発売1ヶ月前とか、2ヶ月前に確定発注出さなきゃいけないという、ある意味、博打みたいな商売だったんです。任天堂はじめ、売る側が強かった、なんでも売れた時代でしたから、そういうときに、町の人から見た、おもちゃ屋さんから見たら、余っちゃうのは困るけれども、足りないのも困るわけですよね。仕入れが。
適切な情報が必要だということが分かったんです。最初は門前払いくらっていましたけど、それがだんだん分かってきたので、いろんなお店、そういうおもちゃ屋さんが参考にするであろう、例えば、ヨドバシカメラ屋さんとか、博品館さん行って、今度ファイナルファンタジーに何本仕入れますかと、ドラクエ何本くらい仕入れますかというのは、仲良くなれば教えてくれます。
そして、今でも営業の極意は変わっていないと思うんですけども、一番素晴らしい営業というのは、商品のことを一つも話さない売れるのが最高の営業だと、よく言われますよね。
要は、「お前が言うなら買う」と、「お前が好きだから買う」という話ですけれども、私たちもそういう情報、自分で調べて、出しているうちに、可愛がってもらいまして、株のゲームなんて、世の中に一つもなかったんですけども、「訳分からんけども、お前が言うし、今まで教えてくれたから、付き合って、買おう」って方が出てきたんです。
その方は結果としては、それ売れて儲かったんですけどね。だから、商いの原点を大学出て2年くらいで、創業期ベンチャーで学べたというのがとても大きなことでしたね。
「お前が言うから買う」っていうふうに思われる。何か意識していたことはありますか?
そのTシャツを私たちのお店のお客さんが喜んでくれるかどうか、どういう形でお話しをしたら、買ってくださるかが興味ありますよね。だから、Tシャツの機能だけじゃなくて、楽しみ方まで含めて、その人の役立つ形でお話しするというのが、その後ずっと一貫して私のテーマになっているんですよね。
それはイマジニアの創業者で今もCEOされている、神蔵さんからも教わりましたね。神蔵さんは、松下政経塾の出身ですけども、とにかく傾聴、アクティブリスニングの神様みたいな人でしたね。
例えば、株式必勝学、監修してくださった、松本亨先生とか、そういう先生にすごく好かれるんですよ。私もそういう現場に何度か立ち会ったことあるんですけど、とにかく聞いているんです。ディズニーランドではないけど、ちゃんと目を合わせて。そして、その方が一番お話しをされたい、歌で言えば、サビにあたる部分になったときに、ちゃんとそれをお返しするんです。「あ、何々ですよね」。
そうすると、今、私もよく逆の立場になって話から分かるんですけど、今のようにね、松本さんのように、ちゃんと聞いてくださると嬉しくなって、話してしまうんですよ。
だから、よく聞いて、相槌をするということも営業で大切だなということを、そこで教わったんですよね。そして、いざ自分が話さなきゃいけないときには、自分が作ったものですから、魂こもっていますよ。夜中いつも終電までね、仕事して作ったものですから、相手の方が受け入れてくださるときに、自分がほんとに魂込めて大好きになったものを勧めるというのが、どんなに楽しいことか、よく若い、今、私も明治大学で教えていますけど、若い人、営業嫌いという人も多いんですよね。企画がやりたいという人も多いんですけども。
AIに一番取って変わられない仕事の一つは、そういう高度な営業の仕事だと思います。ネットで買い物かごに入れるみたいなのは別ですよ。そうじゃなくて、要説明商品とか、世の中にないものをお売りするときには、やっぱり人が心通わせないと、なかなかね。
だから、例えば、一番良くないのは、ラインなど、SNS使ってね、自分と似たような人とだけ会話しているのが、一番その人のポテンシャルを殺してしまうと思うんですよね。営業やるということは、だいたい、好きな人は、せいぜい1割か、2割くらいしかいないわけですよ。
あと、だいたいね、気が合わない人とか、その人の近くにいくと胃が痛くなるような人に会わなきゃいけない、でも、その人たちと仲良くなったり、その人が私の師匠だと思える瞬間がある人というのは、多分、起業家向きの人。
なぜかというと、新しいものをどんどん吸収していって、今までにないものを作ったり、潜在的なニーズにこたえていくのが、起業家の役目でしょう。そのためには、自分と似たような人と、自分が知っているような世界で接していても意味がないんですよね。
どちらかというと、苦手な営業、苦手なお客さんのところの現場に行ったときに、だいたい閃くものなので、私の場合はファミコンも嫌いでしたしね、まさか、おもちゃ屋さんに営業に行くとも思いませんでしたけども、それを先にやったので良かったし、広報で言えば、今の若い人って恥ずかしがり屋じゃないですか。
でも、およそ恥ずかしいことは全部したんですよ。例えば、八重洲ブックセンターとか、博品館の前でデモをするとかね。そうすると、子供たちがやってきて、子供たち厳しいですから、クソゲーとか言いながら非難されたりとか、あといろいろチラシ配っても、全部無視されたり。
今ご存じのように、マスメディアがきかない時代だと言われていますでしょう。通販やっている人は常識でしょうけど、広告よりも、ネットの口コミっていう話ですけども、それは私がファミコンの営業をしているときから、もうあったんです。
例えば、広告一生懸命出しますけど、それよりも、ファミマガとか、ファミ通専門誌のランキングを気にするとか、クラスで一番ゲームにうるさい人が、デモ見てきたのを気にするとかいうことが、すでにあったんですよね。
だから、最初の2年間で営業の本質、あとは新しい商い、自分が作って、自分で売るのが一番楽しいというところと、同時にこれから恐ろしい生活者が出てくるなと。売る人よりも、もっと詳しい人が出てくるというのを予感しました。
営業で聞く力を高めるためにどうしたらいいですか?
すごい人だったんですよ。その人に今いただいたのと同じ質問を、私投げかけたことがあるんですけど、「どうやったら営業できますか?」って言ったらね。営業というのは会う前に7割決まっているんだ。
いろんなオタクで、それはいろんな人と出会って、そのカサさんの教えを守って、いろいろ調べてね、自分も好きになろうとした結果なんですよね。だから、今私は、学生とか若い人に言っているのは、脳のパラボラ力を高めなさいということを言っているんです。パラボラアンテナを年を重ねるごとにたくさん作って、そのパラボラはお客さんと話を合わせる、一つのテーマみたいなものですよね。
だから、例えば、野球が好きな人だったら、野球の話ができた方がいいし、釣りが好きな人だったら、釣りの話できた方がいいわけですよね。ある程度、広く浅くでもいいですから、そういうお話しを聞きながら、目を輝かせて聞けるもの。
それを無理して聞くんじゃなくて、自分も好きだったら楽しいでしょう。それを増やしていくというのが、私自身も心がけていますし、それは営業ができるだけじゃなくて、人生が楽しくなることでもありますよね。だって、誰と会っても、話が合うんですから。
あとは、例えば、そのあと、地方の金融機関の方の営業担当になられたんですけど、そのときは、受付から仲良くなり、秘書と仲良くなり、そうしながら、少しずつ聞いていくということが必要だったんです。これだと、今の若い人に一般的じゃないですよね。そういう立場にならないと、なかなかできないとか、景品持っていかないと会えないとかね。接待費ができないとできないとかありますでしょう。
でも、今例えば、この墨田区にいるキーパーソンと言われる経営者の方、ほとんどフェイスブックやっていますよ。しかも、公開モードで商売の人はやっている方が多いんです。それ調べて、1週間見れば、だいたい分かりますよ。
あるいは例えば、グーグルで検索したり、Youtubeで検索したら、例えば、こういうインタビュー番組が見つかるかもしれませんし。だいたい、この人と付き合いたいなというキーパーソンはネットで調べたら、だいたい情報があるんですよ。それをみなさんスマホ持っているわけですから、合う前に15分でも見ておけばね。全然違うと思いますね。
これとても大切なことで、昔、起業家の権化として、よく紹介された、アスキーの西さんなんかもね、SF作家と夢を見ろなんて言っていたんですよ。だから、そういうことをね、やっぱり、フェイスブック見るだけでも、なんとなくね、興味がありそうなことって分かるわけですよ。
でも、相手のこと知っていて、いきなり「久米繊維ですけど、Tシャツのご用はありませんか」と言うんじゃなくて、「フェイスブック見ましたよ」と、「お孫さん、運動会で1位になったんですってね」って いうのとね、全然違うじゃないですか。
これができれば、相手はいろいろ話をしてくれるので、気がつくと、アクティブリスニングになっている。その人が話したくて、しょうがなくなるツボ、ボタンがあるんですよね。それを押せるようになれば、一言で言うと、可愛いやっちゃって言われるようになるし。
起業家の特性でもある。よく言われるじゃないですか、老人キラーとか、あんまり好きな言葉ではないですけども、そういう大先輩に可愛がってもらえる。そして、若い人は私の話を聞いてくれるから、だいたい私もそうですけど、年取ってくるとね、若い人に自分が得たものを伝えたくなるんですよ。
ものすごいそういう欲求が出てくるんです。それがシャワーのように降ってくるから、自然に賢くなったり、縁とか、運とか、勘にも、恵まれるようになりますよね。それを20代のときに、イマジニアと証券会社で教わったのは、すごく私にとって役に立ちました。
それもあって、書籍等もいろいろ出されていると思うんですけど。出された経緯というのはあるんですか?
どちらかというと、そういうの嫌い。そういうの書いている人も、読んでいる人も嫌いで、まさか自己啓発本作家になるとは思わなかったんですけども、きっかけはですね、私たちの会社がバブル崩壊で、経営の危機になったからです。
どういうことかというと、昔は大繁盛していて、お客さん引く手あまただったんですけども、多くのお客さん、中国の方が安いからというね、海外生産にシフトしたり、あとは、流通革命が起こって、地方の洋品店とか、問屋さんとか倒産されたり、廃業されたりしましたでしょ。お客さんいなくなっちゃったんですよ。それで、インターネットをやらざるを得なくなって。
ただ、流すのはね、社員に流すのは面白くないというか、もったいないので、当時勉強会でたくさん知り合いになっていた、インターネットとかに興味ある方にも同時にメルマガで配信していたんです。そしたら、それを見ていたある方がですね、これ面白いから、NTTコムウェアさん、大きな会社ですけど、そこのメールマガジンで、コンテンツで使いたいと言われたんですよ。
そして、それを流しているうちに、NTT出版の方と知り合いになって、これ本にしませんかと言われたんです。私なんかの本でいいんですか、大丈夫ですと言って、本を出してみたら、アマゾンで2位になったんですよ。その本が。たまたま本が少なかったときだと思うんですけど、1位がハリーポッターで、2位がメール道だったんですけども。
でも、最初に書いたのは、そういういわゆる、ITのテクニック本ですよね。ITコミュニケーションテクニック、そこからより自己啓発になっていったのは、明治大学の先生をやるようになってからです。明治大学経常学会で一緒していた村田先生から声かけられて、実際に経営を経験している人が大学でベンチャービジネスとか、起業を教えてほしいというので、10年前から始めているんですね。
私は当初、出版社の方とも仲良かったので、ベンチャービジネスとか、起業の本が作りたかったんです。それで、授業に望んで、じゃあ、私の授業1年くらい聞いてもらって、それで本作りましょうとやっていったら、幸か不幸かですけども、とてもじゃないけど、ビジネス起業に至るレベルになっていなかったんです。商学部だけど、まず簿記、会計が分からないでしょ。松下幸之助さんの本も、稲盛さんの本も、渋沢栄一さんとかもね、全然知らないと。僕は商売人の息子だから、気がつくと、そういう本がありましたからね。
父親の本をずっと読んでいたわけですけど、正直言って、ビジネス起業の準備ができていない。それどころか、私の授業というのは、自分の好きなものをネットで1年間行商しなさいという授業だったんです。Tシャツが好きな人は、Tシャツ。サッカーチームが好きな人は、そのサッカーチーム。ラーメンが好きな人は、ラーメンでもいいんですよ。こんな簡単な授業は僕ないと思ったんです。
そしたら、衝撃的なことが起きて、まず発信したい好きなものがない子が多い。あとは、文章とか、写真とかができなくて、1年間も継続して情報発信ができない。私の授業の最後のゴールは例えば、久米繊維のことをね、半年間ネットで発信して、私、大学でベンチャービジネス学んでいるんですけど、こういうサイト作りました、一度取材させてもらえませんかと言ったら、だいたい取材させてくれるはずですよ。大学生だったらね。自分の憧れの経営者と会えば、人生変わると思ったんです。必ず変わると思ったんです。
元気な大人と会えば。でも、そこまで達する人が、100人のうち10人しかいないことにショックを受けたんですよ。なぜ、それやらないかというと、その理由もよく分からなかったんですけども、「すぐやりなさい」と言っても、やらないんですよ。
それで、しかたなく、すぐやる技術というのを、編集者の人が言ってきて、起業論の本よりもね、すぐやる技術という本を出しましょうというふうに言ってくださったんですよ。
最初は僕はそういう本出したくないと、恥ずかしい。私が言っていることは当たり前すぎてね、こんなこと本にするのはね、自分としても嫌だと思っていたんです。でも、それを学生たちの目線で書いてくださいということで書いたら、これ起業家のみなさんも多分経験するかもしれませんけど、自分がこれだと思っているものが売れなくて、ある意味ね、人から言われて作ったものというのが売れることが多くて、その本は現代でも20万部を超えるようなベストセラーになっているんですけどね。
それを1冊出したら、次から次にいろんな方が来てくださって、「こういう本出してください、こういう本出してください」って、編集者の方が提案してくださって、自分で売り込んだことは、一度もないです。気がついたら、今、16冊目くらいですかね。
教えるというのは、最初は思考錯誤しながら?教えるのはうまかったんですか?
それを、プログラミングをするだけではなくて、それを支店のカウンターにいらっしゃる、ファイナンシャレディーの方が使って説明できる研修をやったんですよ。これがすごく大変だってことが分かったんですね。基本的には本社の人が、また余計なものをね、ノルマで大変なのに作りやがってという気持ちですよね。学びたい人ではなくて、どちらかというと、斜に構っている人に教えるという経験をしたんです。これがすごく役に立ちました。
だから、営業でもね、「お前のところの商品欲しくない、顔も見たくない、返品したい」という人と始めたところがスタートだったんですけども、基本的に、あまり勉強したくない人に教えるというのも役に立ちましたし、もっと大変だったのは、私が証券会社にいるときにバブル崩壊したんですね。
そして、支店のお客さん、みんな損させられたと怒っているわけですよ。そこで、本社からの生贄として、私が講師で行ったんです。怒り狂うお客様の前でどうやって話すか。そこでもさっきの営業の知恵が役立ちましてね。基本的には、「お前たちが4万円いくって言ったじゃないか」という話ですよ。だから、会社で作った資料持っていって説明してもね、効き目ゼロですよね。騙されたと思って、だから、私がやっぱり、いつでもそこに返るんですけど、自分で調べました。
お客様は何が知りたいのかと、だけど、株をずっとやっていた人たちだから、この大暴落はすぐには戻らないということはわかっているわけですよ。だから、一番知りたいのは何かって、いろいろ聞いたり、察してみると、なんで大暴落は起きてね、どうしてこれが事前に分からなかったのかが気になるわけですよね。
それを証券会社の中で調べたら、実はコンピューターが売っているというのが一つ分かったんです。ある指標を使って、金利との指標を使って。あとは、日興証券を辞めて出て、歩合セールスマン、フルコミッションセールス、自分で自腹みたいな人たちがちゃんと売っていたんですよね。その知恵を自分でまとめてお話しするということをやりました。
だから、何が言いたいかというと、誰かの教科書持ってきて、自分の言葉じゃなく喋っても、誰も聞いてくれない。自分でちゃんと汗かいて調べたこと、その人の一番知りたい形で、知りたい内容で話すということをやらないと教えられないということが分かったんです。
だから、私も最初、明治大学で自分の教えたいことを教えようとしたわけですよね。私が正直言えば、ネットを使って、お客さんも増えたし、友人も増えたし、いろんなチャンスにも恵まれたから、みんなやったらいいことあるよぐらいの気持ちでやったわけです。ところが、多くの学生は、別に大学はね、そんなに大学の授業に求めているものもあまりないしね、就活できればいいんだよくらいの話でしょ。
そして、私は母校じゃない、明治大学で教鞭を取ろうと思ったきっかけは、もともと明治大学の商学部だったら、商人とか、あとは、町工場の子供が多いだろうっていう予測で来たわけです。私もそうでしたけど、やっぱり小さいころから親が商売している背中見ていますとね、放っておいても、商売って何かって分かるわけですよ。一言で言うと、挨拶から違うわけですよ。そういう人だったらね、いろんなこと説明しないで、すぐ本題に入れるなと思ったんですけども、実際には、私の授業を取ってくださった方は、ほとんどご両親もご商売されていないで、お勤めな方だったんです。
だから、一言で言うと、中小企業の社長も見たことがない人が多かったわけですよね。だから、今はお客さんである生徒の方のニーズに合わせて、そっか、将来起業しようみたいなことまでは、みなさん考えていないけれども、なんとなく自分が元気がない、なんとなくコミュニケーションが苦手と、なんとなく将来何したらいいか分からないという人が来てくださっていると思うので、私だけではなくて、私が尊敬している起業家の方とか、それは実際に商売始めた方もいらっしゃるし、社内で起業家している。
中小企業の社長に興味ある人ばかりじゃないんですよね。大企業の中で新規事業やりたいという人も多いわけですよ。そういう人をつれてきて、お話しするというのを今やってもらっているんですよね。最初の年の色紙というのは今でも忘れられないんですけど、学生の方が、「先生の授業を始めて、挨拶ができるようになりました」と書いた人がいたんです。私の授業って、大学なんですけども、起立礼から始めるんですよ。
だから、就活の面接でも役立つから、ちゃんと挨拶できるようにしようと言うと、やってくれるし。私は大きい声出ちゃうのでね、私ばっかりやっていても駄目だから、次回からは、誰かやる人、先導してね、「ようこそ、いらっしゃいましたって言ってくれる人」ってやると、最初、シーンとしていますよね。目に浮かぶようでしょ。
それで、一人ずつ出てきていただいてやるんですけども、多分、1年に1回ずつ、同じ人何回もさせちゃいけないので、一人ずつやるんですけど、そこ出た人がちょっとだけ人生変わったと思います。大きい声出したし、ぱっと手を挙げられたという。
お勤めされている方とか、自治体の方が来る勉強会は後ろからなんです。ですから、当然、前にいる人が手を挙げる。あとは、男女でいうと、女子の方が最近は元気だという特徴がありますね。
だから、起業家が今減っているという点でも、そうなんですけど、私はなんでこんなにみんな元気なくなっちゃったんだろうかとう、ほんとに危機意識持っていまして。
一つはある程度、みんな中流になってしまったと、だから、私が生まれ育ったところは、まだ昭和38年生まれなので、物がない時代ですから、欲しいもの山ほどあったんですよね。例えば、いつかお金貯めて、いい車乗りたいとかね。ギターやったら、いいギター買いたいとかあったんですけど、今欲しいものがなくなっちゃった。それなりに、みんな揃っている。
あとは、同調化意識はもともと日本人はあったんですけど、みんなで同じでいると安心できると、ずっと泰平の世が続いたし、デフレも少しずつゆっくり悪くなっていって、ゆでガエルみたいになっているわけですよね。
そして、あとは、一番が、元気な大人にあまり会ったことがない。大きな会社に勤めるか、公務員になりたいと思っている。自分がなりたいと思っているわけじゃなくて、親がそう言い続けているというところが大きいんじゃないかと思うんですよね。
だから、聞くと、1日誰とも話しないときもあったなんて子供たちも多いんですよね。僕らのころは、例えば、家が商売やっていましたから、コロッケとか、夕食のご飯とか買物に行く係ですよ私が。町出ると、至るところに、おじいさん、おばあさんが座っていたりして、話しかけるわけですよね。
「買物行くのか、感心だね」と言ったときに何か返さないと、後でお風呂で言われちゃうから、だから、感じでいうと、吉本のひな壇芸人みたいな感じで、町を歩いて、そして、コンビニ、スーパーはないですから、お肉屋さん行って、「くださいな、コロッケ何個、メンチ何個ください」って言わなきゃいけない。そのときに、ちょっと気の利いたこと言えば、ポテトフライおまけしてくれるかもしれないと思いながら、掛け合いをするわけですね。
「すぐやる人だけがチャンスを手に入れる ~すぐやるカエルの冒険ストーリーに学ぶ「すぐやる技術」」
1、一番エネルギーが大きな人を探す。
2、一番近くに座って、見つめる。
3、なるべく多く質問や意見をする。
4、できるだけ集中的に会う。
5、素直に言われたことをすぐやる。
詳しくは書籍を読んでいただきたいんですが、ちょっとせっかくなので、生の声でどういったことなのかということを、ちょっと伺ってもよろしいでしょうか。
やっぱり言葉でできない、言葉になっていないエネルギーというのが現場にはあると思っているんですね。できれば、その人の近くにいた方が元気になります。私もそのことに気がついてから、なるべく、この人すごいなと思う人が見つかったら、一番前で聞くとか。あとは例えば、そのあと懇親会があるんだったら、ちょっと図々しいかもしれないんですけども、その人の隣にいるということをするんです。不思議なことで、一緒にいるだけで元気になるんです。私はどちらかというと、学生のとき、半分うつみたいな学生でした。
でも、たまたま私がその先生に会ったのは、留年して、友達がみんな別のキャンパスに行っちゃったあとだったので、人目も気にする必要もないから、でも、なんかこの人はすごい人な気がすると、おぼろげに直感したので、一番前で聞いたんです。あんまり知り合いがいないからね。あいつだけ、一番前で聞いちゃって、嫌なやつだなって思われないからね。そして、毎日いるうちに、明らかに、自分が元気になるんですよ。
そして、勉強しなかった大学生だから、あんまり意味は理解できなかったけど、この人について行こうという気持ちになって、ゼミに入れてもらうんです。そして、一番前にいると、まず変化が起きるんですよね。後ろの方にいると、例えば、100人授業受けている人の一人って感じがするんですけども、一番前にいるとね、1対1で、落語家がね、例えば、師匠に稽古つけてもらうような気持になるんですよ。
まるで、対話しているみたいに、対話しているようにやっていると、当然、今まで質問なんて考えたこともないけども、聞きたくなるようなことが出てくるんです。そして、聞いてみると、私も今、先生だから分かりますけども、学生から質問される、若い人から質問されるほど嬉しいことはないんです。
熱く語ってくれると、自分のためだけに、そういうエネルギーと知恵をシャワーのように浴びていると、私のようにかたくなだった、うつっぽい学生でも、だんだん元気になってくるんですよね。
そして、大学のときですから、ゼミに入ればね、嫌でも週に2回とか会うわけでしょ。そして、小さな教室でやるから、それを2年やっていくと、不思議なことで、ほんとは3年がいいのかもしれませんけど。卒業するときには、ウルトラポジティブな人間になっていたんですよ。なぜかよく分からないけども、そうなっていたんですよ。
だから、それは私、今も続いていまして、この人、師匠だと思うと、例えば、月次の勉強会があったら、いつも行って、一番前でやるということを、50過ぎてもやっています。
100回着ても大丈夫!日本で最初で最後になる国産Tシャツメーカー/後編
久米繊維工業株式会社 取締役会長 久米信行 1963年東京都墨田区生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、ゲーム会社、日興證券を経て、家業の久米繊維工業3代目社長(現会長)。バブル崩壊とデフレに見舞われ、数十億の債務を背負うも、インターネットやエコロジー対応に先手を打ち勝ち残る。明治大学商学部ベンチャービジネス論講師。主な受賞に日経インターネットアワード、経済産業省IT経営百選最優秀賞、東京商工会議所勇気ある経営大賞特別賞。東京商工会議所起業創業支援委員・墨田支部副会長、墨田区観光協会理事、日本財団CANPANセンター理事、新日本フィルハーモニー交響楽団評議員。 主な著書に、すぐやる本ブームに火をつけて15万部のベストセラーになった『考えすぎて動けない人のための「すぐやる!」技術』(日本実業出版)、『面倒くさがりで続かない人のための「やり抜く!」技術』(日本実業出版)、『すぐやる人の「出会う」技術』(かんき出版)、『ピンで生きなさい 〜会社の名刺に頼らない生き方〜』(ポプラ社)ほか多数。 |