【IDEAストーリー】第21回:空間創造事業「UT SPACE」/SPACEに関わる全てを一つに!

MATSUMOTO
こんにちは。イデア・クリエイションの松本泰二です。
IDEAストーリー

起業家のストーリーを追体験してもらおうという無料のインタビューサイトです。

このサイトでは、これから起業に興味のある方に向けて、成長のサービスを展開されている方、面白いサービス、商品を出されている方、各分野の実績を出されている専門家の方々にインタビューということで、各スペシャリストの方にお話を伺ってしまおうというような内容で、毎週お届けしています。

 

本日のIDEAストーリー。ゲストは、ユニオンテック株式会社 代表取締役社長 大川 祐介さんです。大川さん、宜しくお願いします。

大川社長
宜しくお願いします。

 

会社名の由来を教えて下さい。

大川社長
技術の結合という意味で、僕は職人から始まって、徐々に徐々にやれる幅を拡大してきたんですけど、そのときに一つの空間づくり、一つのものづくりをしていくときに、必ずいろんな方たちと関わって作っていく、そういう思いを込めて、関わる人たち全てで、お互いが持っている技術というのを繋ぎ合わせて、僕らのものづくりにしていこうという思いを込めて、会社名をユニオンテックという会社名にしました。

 

どういった事業をされているのか自己紹介をお願います。

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大川社長
メインとなる事業が、今は、2本柱でありまして、1本が僕が独立創業当時からやっている、企画・設計・施工をやっている空間創造事業「UT SPACE」です。 

 

もう1本は、TEAM SUSTINA(チーム サスティナ)という建設業成長支援事業です。

実は、とある時期に、自分のなかで気づきがあって、それが何かと言うと、ものづくりをしていく仲間たちとともに作っていたつもりで、うちの会社を拡大していったんですけど、実は一緒にやっていた職人さんたちというのが、この業界の中の、色々な課題とか業界の環境というものが非常に悪く、成長しづらい環境でして。
 
建設業界全体を環境改善していきながら、ありとあらゆるものづくりをする企業さんが成長しやすい環境づくりをしていこうということで、従来の空間創造事業とは別に、もう1本柱を立てました。

 

これに関しては、まだ始まったばかりなので、これから本格的に始動していくという感じになるんですけど。表側のお客さまに対しての空間提供と、その空間提供を今後もし続けられるための、協力会社さん、いわゆる、この業界で頑張っている職人さんたちですね。

そういった方たちと、継続、コミュニケーション取っていきながら、僕らもユニオンテックとして、今後も社会のなかで、しっかりずっと成長し続けられるようにしていこうと、そういう思いがあって、前側と後側、両方を事業の軸として今展開している最中です。

 

どういった特徴・こだわりが何かあれば教えて下さい。

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大川社長
まず1個目は、職人上がりだというところで、ものづくりに対して、やっぱり自分的にこだわりが相当あってですね。よくある、この業界のなかで、設計と施工を一緒にやる会社というのはよく聞くと思うんですけど、実際は、それは、設計だけするけど、施工だけは、施工は表に出して、外注さんに一括お願いしているというパターン結構多いんですね。

そういうパターンがよくあるなかでも、うちの会社というのは、徹底した自社設計、自社施工というところにこだわりを持っていて、自分たちの会社でほんとにお客様の最初のヒアリングから、ワンストップで全て自社でやりきるというところが、まず一つの特徴的な価値なのかなと。

 

あとはやはり、この業界のなかで、職人、下請け、元請けというふうに、徐々にお客様側に近寄るかたちで成長してきているので、いろいろな物件を経験してきているというところが、もう1個の価値なんですけど、他の競合さんとか、他の他者さんと比較すると、例えば、飲食店の仕事が多いよとか、オフィスばかりやっているよとか、美容系の空間ばかり多いよとか、いろんなかたちの結構、専門特化した会社さんが多いなかで、うちは全部がずっとやってきちゃっているので。

昔は元請けさんから、逆に仕事を貰って、自分たちは工事をするだけということも、ずっと経験してきているので、ノウハウがどんどん社内に蓄積していって、うちの会社はほんとにありとあらゆる業界の、ありとあらゆる施工も設計も自社で全部できるという、幅の広さと深さというのを持っている会社というかたちです。

 

ワンステップでやるのと、やらないのでは、何か違いはありますか?

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大川社長
まず情報伝達です。自分たちで全てやるということは、お客様の意見を直接聞いている人間たちが、直接作っていくということが、まず大きな違いで、働いている側も、作る側もですね。作る側はやっぱりお客様の声聞いて作るのと、お客様の声を聞かないで作るのと、上から指示が下りてきて、別の会社から頼まれて作るのは、全然違うと思いますし。

役割分担して、いろんな会社さんがくっついていけば、やっぱり一つのものを共有しなきゃならないじゃないですか。共有するのに時間がかかるわけですよね。

 

さらに、ワンストップでやることによって、スピーディー、かつ、やる人間たちのモチベーションにもなっていくし、作業効率というところもあるし、あと、結果それがものづくりの全てのかたちになって、全部跳ね返ってくるので、そこら辺は全然違いますね。

 

どういったお客様が多いですか?

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大川社長
ほんとに幅広くて、これから脱サラしてラーメン屋やるよなんて人も全然います。ほんとにトップブランドさんとの取り引きも全然ありますし。

 

松本
小さな箱から?
大川社長
3坪、5坪の立ち飲み屋から、100坪、200坪。昨年なんかは、トータル延べ床面積数で言うと、約1,000坪くらいの案件をやったりしているくらいなので、ほんとに幅も広いですね。ジャンルも様々ですし。

 

松本
店舗展開しているとか、大きな会社とか、そういったところもあったり。
大川社長
もちろんありますね。

 

松本
依頼してくる側が、「どんな雰囲気にしてください」とか、「どんなレイアウトにしてください」とか、要望がきて、御社側からみると、ちょっと違うんじゃないみたいな、そういうディスカッション。
大川社長
あります。ガツンガツンあります。

 

松本
ガツンガツン。こういうレイアウト、こういう雰囲気にしてほしいとか。例えば、社員の人たちがコミュニケーションしやすい雰囲気にしてほしいとか。
大川社長
お客様って、自分たちの思い描いている頭のなかのイメージというのを、言葉に変えて、一生懸命伝えてくださるんですよ。僕らはそこから何を紐解いていかなきゃならないかと言うと、結局何がしたいのというのと、最終的にどうしたいのって、どうなっていきたいのと、そっちなんですよね。

空間作ったあとに、その空間のなかで、お客様がどういうことを描いているのか。空間作って終わりじゃないので。作った先に、例えば、お店であれば、そのお店でどういうシーンを想像しているかということを、多分、僕らは把握しなくちゃならなくて。

 

今回の出店に関して、例えば、どういう人に、どういうことを言ってもらうお店にしていきたいんですかとか、この地域のここで出すんだったら、この地域でどういうかたちで、みんなに認知されていきたいんですかとか、そういうことをどんどん、こちらから質問ゲームをしていきながら、だんだん向こうが言ってきたことを変化させていくということを繰り返しやっていくんです。

 

先輩の仕事を見てカッコイイ。その技術を一刻も早く身につけたい!

松本
大川さんの起業前の話も聞いていきたいと思うんですけども、どういった経緯があって、起業に辿りついていったのか、大川さんのストーリーをお伺いしてもよろしいでしょうか?
大川社長
読売新聞に小さくなんですけど、これからは、「新築の住宅よりも、リフォーム産業が、これからどんどん流行っていく」的なことが書いてあったんですよ。それ見て、ビビっときて、不動産と建設って近しいなというのは、イメージなかにあって、そこで住宅のリフォームが流行ると書いてあるから、これってこれからいけるんじゃないかと思ったので、これだと思って、知り合いの方から紹介いただいて、「リフォーム会社紹介してください」と言ったら、「いいよ、いいよ、すぐ紹介してやるわ」と言って、その人の知り合いのリフォーム会社さん紹介してもらったんです。

 

そこからこの建設業界に一歩足を踏み入れることになるんですけど、僕はリフォームという概念をなんだか分かっていなくて、今思えば、あれはリフォームじゃなかったんですよ。

というのは、何かと言うと、僕が入った会社は、リフォームのなかの施工の一部分を担っているクロス屋さんだったんですね。壁紙を張り替えるという。壁紙を貼ったり、張り替えたりというのをメインでやっている会社さんだったので、ほんとリフォームのなかのパーツだったんですよ。一部だったんですよ。

 

でも、僕は、そこら辺、当時分かっていなかったので、「これかと」いうかたちで、その会社に入って、先輩たちを見ていくと、カッコイイんですよ。

何かと言うと、自分で腕一つで、壁を綺麗に仕上げていくわけですよ。いろんな柄がついているクロスを柄合わせながら、バシバシ貼っていったりとか、それが結構スピーディにね、手さばきも良くやっている姿を見て、すごいかっこいいなと思って、僕はその技術を一刻も早く身につけたいというふうに思っちゃったんですね。

 

当時、お金がなかったので、自宅がある稲城駅から会社があるつつじが丘まで自転車で行ってました。40分もかかるんですが、電車賃もなかったので、毎日チャリンコなんです。チャリンコ漕いで、つつじが丘まで行って、おはようございますと言ってから、先輩とともに、毎日毎日いろんな現場行くんですよね。行くんですけど、先輩たちはカッコイイ仕事するんですよ。クロスの張り替え。僕、何やっているかと言うと、掃除。

 

松本
最初は。
大川社長
掃除なんですよね。アパート、マンションの原状回復工事という、いわゆる、退去後ですよね。入居者が退去されたあとの原状回復というのをメインでやっていた会社だったので、僕は先輩がクロスを貼っているなか、ひたすら、風呂とトイレとキッチン、サッシ周りのクリーニングなんですよ。

 

そればかりずっとやらされ続けて、でも、先輩カッコイイな、早くやりたいな。でも、自分には、まだそこまで入ったばかりだしと思いながら。クロス屋さんって、工事している最中に余っていく材料を、どんどん施工している部屋の真ん中にためていくんですね。

結果それってゴミになるんですよ。僕はそのゴミが宝の山だと思っていて、これ触ってみたいなと思って、先輩に、「これ持って帰ってもいいですか」という質問をしたんですよ。

 

松本
持って帰る?
大川社長
いらなくなったクロスのハギレを「持って帰っていいですか」と言ったら、先輩が「いいよ別に」という話になったので、それをある日から、チャリンコに乗りながら、その材料をかついで、家に帰るようになったんですよ。

 

松本
練習用ということですか?
大川社長
自分のなかで練習しようと思って。賃貸アパートだったんですけど、帰ったら、とりあえず、壁のクロスとか壁をぶっ壊す作業を始めるんですよ。その余った材料どんどん貼っていくんですね。

 

松本
それやっちゃ駄目ですよね?
大川社長
やっちゃ駄目です。やっちゃ駄目なんですけど、唯一そこでしか僕は触らせてもらえなかったから、それを何回も何回も、毎日毎日繰り返すわけですよ。ある日、先輩の見よう見まねでやっていたら、段々できるんじゃないかと思ってきて、社長に、「ちょっと見て下さい」と言って、社長に、ベニヤ板という木の板を用意されて、「じゃあ、ここに大川君貼ってみなさい」と言われて、パッと貼ったら、「なんだ、君できるじゃないか」という話になって、「よっしゃって思って」、「じゃあ、現場出て、貼ってみてもいいよ」と言われて、「やったー」と思って、腰袋という、職人さんの象徴的な腰に巻くベルトつきの袋がついていて、そのなかにいろんな道具入れていくんですけど、それを自分が会社から貰って、それをつけて、今度現場に行けるようになったんですよ。

 

そしたら、今度、先輩たちと一緒にクロスを貼れるようになっていって、とある一定時期から、先輩たちよりも、自分のほうが上に、要は、追い抜いていきたいという感情が出てきて、もっと俺のほうができるように、もっともっとという形になって。

それできるために、どうすればと考えたときに、先輩たちって、今までの時間を僕よりもクロスを貼っている時間長いわけじゃないですか。何年も何年。じゃあ、僕は限られた時間のなかで、先輩たちより長く仕事をするしかないと思って、思いついたのは、朝早く、夜遅くということなんですよね単純に。

 

松本
仕事自体は面白さを感じているんですか?
大川社長
めちゃめちゃ面白かったですよ。手に職がついていく、技術がついていくという、すごい単純でシンプルで、今までできなかったことが、どんどん自分ができるようになっていくじゃないですか。できないことができるということが、どんどん面白味に変わっていって。

 

先輩たちを抜きたいという感情になっていって、先輩は17時、18時に帰るんですけど、僕は夜中の3時まで残ったりしていくんですよね。前は自分の自宅の張り替えをやっていたり、壊したりしていたものが、実際の現場というかたちで触れるようにならせてもらったので、そこでいかに遅くなっても、先輩たちより今日1日貼った量を増やすか。先輩が50平米貼ったら、60平米貼るまで帰らないみたいな。

でも、最初にやっているスピードは僕のほうが遅いので、それを越すためには、時間で補うしかなかったんですね。それをずっとやっていったら、だんだん速度も上がってきて、最終的にはほぼ先輩と同等になったんですよ。

 

松本
それはどれくらいの期間でですか?
大川社長
1年半くらいですね。ほんとに。1年半くらいでも、そこまで到達して、先輩に、「大川君すげえできるな」と褒められるようになってきて。

 

一番できる先輩を、モデリングしまくっていた!

松本
職人の世界というのは、スピードが全然分からないですけど、1年でそういうのはメチャメチャ早いんですか?
大川社長
それは、大工さん、電気屋さん、クロス屋さんとか、いろんな工種があるんですけど、その中でもクロスというのは、そんなに時間かからなくても習得できるほうだったんですよ、たまたま。なので、ある一定のラインまでは、すぐ到達できたんですね努力によって。

 

給料11万くらいからスタートしたんですよ月給で。そんな感じだったので、ほんとに安月給だったんですね。ある程度できるようになって、20万以上貰えるようになったんですけど、それでも、先輩の給料をチラっと聞いてもいたので、差が倍くらいあったんですよ。

 

自分的には、若いときの考え方なんですけど、先輩と結構同じくらいできるじゃんと、まあまあ、俺できるくらい思っていたので、社長に、「僕の給料って、もうちょっと上げてもらえないんですか」と聞いたんですよ。

そしたら、「大川君は、まだクロスは確かに貼れるようになったけど、他に色々やっぱり他の人間たちと違って、できていないところがたくさんあるから、そういうところができるようにならないと駄目だよ」というふうに言われたんですね。なるほどなと。なんなんだろうと悩んだんですよ。

 

だから、そこから先輩の監視ですよね。クロスを貼る技術だけ同等になるように、時間と労力を割いていったんですけど、よくよく見ていったら先輩たちって、現場についたら車のダッシュボードに、クロス貼り替え工事中です、と自分の名前と電話番号を書いて貼っておく。

もし何かあっても、車が邪魔だった場合、連絡できるようにと。現場の中はしっかりと整理整頓ができていたりとか。仕事が終わったら、貼り紙1個床に置いて、仕上げ済み、土足厳禁とかという紙を置いていったりとか。

 

そういういろんな先輩がやっている、おもてなしチックなお客様に対する姿勢というのがそこから目に入るようになっていって、今まではそれが先輩やっていたんですけど、全然気にしていなくて、こういうことかと、こういう1個1個が俺にできていないのかということで全部真似ていったんです。

 

松本
できている先輩の動作だったりとか?
大川社長
先輩とまったく同じことを。先輩がやっていることを完全に自分がコピーですよね。一番できると思った、スズキさんという先輩がいたので、スズキさんがやっていることをひたすら真似するんですよ。それを実際、実行していくんですよ。毎日毎日。もうこれ、真似しようがないぞというところまで、半年くらいやったんです。

 

そこでもう1回社長に交渉するんですけど、その交渉しようと思った一つの実はきっかけというのがあって、何かと言うと、実は一番できる先輩職人さんだった、スズキさんという人から、「大川君、土日時間空いている」と言われて、「何すか、空いていますよ」と言ったら、「俺、バイトで仕事しているから、そっちのほう手伝ってくれない」というふうに言われたんですよね。「いいですよ」と言って、スズキさんに呼ばれて、現場に、いつもと同じ現場なんですよ。違う物件なんですけど、「じゃあ、ちょっとこっちの部屋貼り替えてよ」と言われて、いつも通りなので、パッパパッパやって終わらせたんですよね。

 

そしたら、最後に、「これ、今日の手間代ね」と言われて、茶封筒でお金貰ったんですよ。パッと開けたら、1万4,000円入っていたんですね。なんだこれと思って、なんでこんなくれるんだと思って、1万4,000円って、すごい金額で、それ30日やったら、40万超えてくるわけじゃないですか。これって、先輩が貰っている給料、これ普通に30日やれば貰えるじゃんと、なんで先輩、俺をこんな評価してくれているだろうというところとこんな金貰えるんだという単純な体験ですよね。

それを通じて、やぱり俺って、価値があるんじゃないかと錯覚しちゃったんですよ。そこのなかで、自分のなかで止まらなくなっちゃって、早く社長に交渉したいと思っちゃったんですね。最終的に社長のところに行くんですよ。

 

交渉しに行って、「社長、僕、社長が言った通り、自分ができていなかったところ、先輩たちのやっていることにどんどん気づいて僕もできるようになりました」と、「そうだよな。大川の話聞いているぞと、頑張っているな、お前相当伸びてきたな」と褒められたんですよ。

 

お前は、まだ若いから給料は上げられない??

松本
今まで言われたわけじゃないですよね。自分でどんどん気づいていって、コピーしていったりとか。
大川社長
そう、ただ、1回交渉したときに、「お前はまだ仕事はできるようになってきているけど、まだ、そういう先輩方ができているところが、できているけど、お前にはできていないところがあるよ」ということを言われたので、そこで自分で気づいて、学んでいったということなんですよね。

結果として、社長に褒められたので、これはいけるぞというところで、最終的に、「給料を上げてもらいませんか?スズキさんと同じくらい欲しいです」と言ったんですよ。そしたら、返ってきた言葉が、「それはちょっと無理だな」と言われたんですね。「なんでですか。僕、結構できるようになったじゃないですか」、「でも、まだお前若いから」というふうに言われちゃったんですよ。

 

松本
それだけ理由は?
大川社長
そうです。若いからと、まだ経験も少ないしと、いきなり、そんな給料ポンポン上げるわけにはいかないと。若いからポンポン上がらない、できるようになっても上がらない。言われたことはやったというところで、僕のその先の可能性って、そこで全部なくなっちゃって、目の前真っ暗になったんですよ。頑張るものがなくなったんですね。技術は身につけたつもり。先輩とほぼ同等レベル。そして、その先輩が外側の仕事では評価をしてくれる。お金もくれる。先輩ができることも全部コピーして、自分でできるようになっている。

 

社長からも1回それ言われたから、それを理解してやった。できるようになった。もうやることがないんですよ。明日20歳年取るのは、絶対無理だと思うので、お先真っ暗で、僕が出てきた一言が、「じゃあ、辞めさせてもらっていいですか」と言ったんですね。

辞めた次の日から、どうしようと話になるわけじゃないですか。でも、自分には今、やれることはできたと、クロスを貼れる、お客様に対して何か自分はできるんじゃないかと思って、そこで勢いで起業しようという感覚になったんですよ。

 

松本
起業という言葉が出てきたんですね。
大川社長
出てきましたね。それは、やっぱりそのほんとのきっかけって、多分、先輩の仕事手伝いに行って、1万4,000円貰ったところから、多分、頭のなかで考えていたことの1個にあったと思うんですよ。

ただ、起業ってなんなんだろうとか、自分でやるってなんなんだろうということが分かってはいなかったので、ただ自分で人一人として、評価をしてくれる人が実際いるということを体験しちゃったので、いけるんじゃないかと、見えない自信ですよね。ほんとに、何の根拠もない。当時その会社は不動産屋さんから仕事を貰っていて、クロスを貼り替える仕事を貰っていたわけですよ。

 

そのこの業界の絵図というか、仕事を誰がくれて、誰がやっていてというのは、自分はちょっと見ていたので、これは多分、俺独立して、不動産屋さんにどんどん声かけていけば、俺みたいに仕事ができる人間だったら、仕事をきっとくれるだろうという。見切り発車ってやつですよね。そこで思い付きで、若いから勢いもあったんですよね。特に何も考えず、ほんとに、次の日から独立という感じで走りだしちゃったという感じですね。

 

松本
同じことをやろうと思ったんですか?
大川社長
同じことをやろうと思いました。そこで独立ですね。計画的に何も考えていなかったし、よく独立しようとかという人、結構いますけど、だいたい僕見てきて、自分で独立したいんですよ将来とか言う人は、ほとんど十中八九は独立しないので、独立する人って、勢いで独立する人、結構多いはずなんですよ。だから、僕もそのなかの一つのケースで、僕の場合、さらに勢いが違うと思うんですけど。

 

松本
まだお客さんとかいないわけですよね。
大川社長
まったくいないです。

 

松本
新規開拓していかないといけない。
大川社長
新規開拓が必要でしたね。そもそも新規開拓って言葉さえ、当時知らなかったので。とりあえず、僕は、まず不動産屋さんに行けば、仕事があるんだということしか知らなかったんです。

 

来る日も来る日も飛び込みの毎日

松本
勝手にイメージが湧いて。
大川社長
そうです。だから、不動産屋さんに行こうと、不動産屋さんに自分が行っても、「お前、何、君、何」という話になっちゃうから、自分はこういうことができるんですよ。こういうことが得意なんですよということを、ちゃんと伝えなきゃならないということで、ビラを作って、B5サイズに、ワープロ当時、パソコンじゃまだなかったんじゃないですかね。

 

松本
20歳のころ、僕も持っていなかったですね。
大川社長
パソコンも普及していなくて、多分、ワープロみたいなやつだったんですよ。当時、フロッピーディスクとかでしたからね。クロス貼り替え、1平米800円とか、クッションフロア貼り替えとか全部書いて、その印刷したものを不動産屋さんに飛び込みで入っていって、渡すという作業を始めたんです。

それをほんとに、来る日も来る日も、毎日毎日、1日3件、4件、どんどん飛びこんでいって、だいたい言われる言葉は、「うちはね、もう取り引きしている会社さんあるから、間にあっているから大丈夫だよ」という話とか、「君、どこの会社と取り引きしていて、どれだけの実績あるの」とか、なんせ20歳だったので、ちゃんちゃん坊主なわけですよ。社会人の先輩方から見たら。

 

松本
飛び込みと言ったら、無差別な飛び込みじゃないから、不動産屋の飛びこみですよね。距離が。
大川社長
だいたい駅チカじゃないですか不動産屋って、だから、点々を京王線、沿線の不動産屋に、駅で停まるごとに、そこの不動産屋に行って入って、行って入っての繰り返しですよね。なんかあったら連絡するよと絶対言われるんですよ。あとは、「僕らじゃ、判断できないから、社長に言ってみるね」とか、「上司に聞いてみます」とか、その場は対応はしてくれるものの、「僕も、ありがとうございます、宜しくお願いします」と言って、携帯電話の番号教えて、店出るんですけど、折り返し1本もないわけですよ。

 

松本
法人にはまだしていないんですよね?
大川社長
そのときはそうですね。折り返しゼロ、イコール、仕事の案件ゼロという状態で、ずっとずっと、それをひたすらやっていたということですね。最初のころ。

 

初月の売上は、11万円?

松本
どれくらいやっていたんですか?
大川社長
結果としては、2ヶ月くらいやっていましたよ。20歳になって、独立したのが6月1日で、6月の売り上げが結論から言うと、11万円だったんですけど、その11万円というのは、不動産営業、チラシを撒くところの流れからではなくて、別の知り合いの大工さんと、とあるところで出会って、その大工さんが、「大川君、独立したんだ」という感じで、たまたま前職の現場で出会った大工さんだったんですよ。

「大川君じゃん。君、独立したの」という話になって、「じゃあ、やってみなよ」と、その人は僕がクロスを貼ること知っていたんですよね。なので、その人から「ワンルームのロフトつきのマンションのクロスの貼り替え工事と、ついでにクリーニングをやってよ」と言われて、クリーニングを受けたのが、最初の仕事なんですよ。

 

松本
紹介と。
大川社長
そうです。それが初月の今のユニオンテックの。

 

松本
一番最初の売り上げ。
大川社長
売り上げですね。忘れもしない。

 

松本
そこから、また紹介なわけじゃなくて、また新しく新規を。
大川社長
そうですね。その工務店の社長、大工さんが社長だったので、「じゃあ、大川君、独立したんだったら、うちの仕事はなるべくお願いするようにしてあげるよ」と言われたので、ちょこっとずつ、そこら辺から、その人の紹介で、ちょっとした小さい、ほんとに3万円とか、2万円とか、1万円とかの工事というのを貰うようになっていって。

 

松本
それはまだ一人なわけですよね?
大川社長
もちろん一人ですね。そんな感じですかね。最初はね。出だしは。

 

 

空間創造事業「UT SPACE」/SPACEに関わる全てを一つに!/後編

 

音声で聴きたい方はこちら

 

ユニオンテック株式会社 代表取締役社長 大川 祐介

1979年、静岡県生まれ。18歳のときに内装業界に飛び込み、2年半にわたって職人として修業。2000年に独立してユニオン企画有限会社を創業、内装仕上げ工事業をスタートさせる。2004年事業拡大を機にユニオンテック株式会社に商号変更。現在は企画・設計・施工をトータルで行う空間創造事業と建設業界を活性化していく建設業界成長支援事業を手掛ける。2016年には本社を稲城から新宿オペラシティに移し、さらなる業容の拡大を実現している。

 

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スポーツでも、芸道、華道、茶道、武道などにおいても、「基本の型を反復する」ことは大変重視されます。基礎ができているから創造的な仕事ができるようになり、基本が身についているから応用が利く。何でもそうですよね。ドラゴンボールの悟空だって、修行する時は腕立てや腹筋と基本からするわけです。それで基本が身について、はじめて「パワーアップしたカメハメ波」ができるわけです(笑)

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