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本日のIDEAストーリー。ゲストは、株式会社ヤマトソリ ューションズ 代表取締役社長 田村功晟さんです。田村さん、宜しくお願い致します。
どういった事業をされているのか、自己紹介をお願いします。
普通、ハガキとか、封筒に皆さんはプリンターでダイレクトに印字したり、宛名シート貼ったりするかと思うんですけども、そこをわざわざ手間暇かけて、相手のお名前、住所、会社名と、メッセージと、あえて、手で書いて、相手に温もりを伝えるという、そういう宛名書きの代行を、業務をやっています。
半年近く成績0で最下位?
接触頻度を増やす構造
なので、そういったハンディというか、背負い。あとは、そんなに学校のランクで言えば、頭のいいのでもなかったので、そういう経営知識とかも、あまりいいほうじゃなかったんですよね。多分、正直。最低限はあったとしても、他の多分、同期のほうが、頭が賢いので、金融知識は豊富だと思うんですけど、そういう知識もないまま活動していくんですけど、たった一つだけ徹底したことがあったんですね。
Aさんには素晴らしい提案ができて、信頼関係ができるかもしれないけども、Bさんにはできないかもしれないですよね。そうすると、万能じゃないですよね。でも、万能で、信頼関係を築く方法をたまたまやっていたというか、気付いてしまったという、それが何かというと、接触頻度を上げるということです。
600人の中でNO,1
何回も会えば、人は心を開いてくるということが出てくるので、そういういわゆる、種まきを半年間、お客さんできませんでしたけど、種まきを結果的にまいていたんですよね。太くしながらも、それがやはりキャンペーンの時期になると、一気に炸裂するわけですよ。パンパンパーンって、あれよ、あれよという間に、地方支店でありながらも、顧客づくりでナンバー1取るんですね。
働いていた会社が経営破綻?
いろんなことが重なって、独立しましたね。一番は、大手企業で、営業していたというプライドはありましたけど、もっと世の中には楽しいことがたくさんあるなと思いながら営業していたので、それをいろんな機会が重なって、独立というかたちで、1回もっと楽しいことをやってみようということで独立しましたね。
独立資金ゼロでのスタート?
明日どうなるんだろう、来月どうなるんだろう、5メートル先が闇なんですけど、でも、えいって、よしって言って、重い腰を上げて動き出すと、1メートル動くと、5メートル先が、また視野が見えてくるんですよ。左行けと言われるんですよ。左行きますよね。左行くと、また視野が見えてくるんですよ。5メートル先が。そうすると、右行けと言われる。分かったって、右へ行くんですよ。その繰り返しなんですよ。動くとドンドンドンドン先が見えてくるんですよね。
実際そうやってきたので、最初に話した通り、私は地方支店だったので、実はなんと独立のときは東京にいたんですね。なので、東京に身一つで来たときは、正直言って、ご飯食べる友達もいなかったという。
もちろん前職の同期、友人等はいましたけども、でも、基本所詮、僕は地方支店なので、あまり交流もないんですね。結果ご飯食べる友達もいなかったんですけど、独立方法を言うと、最初独立すると、皆さん、普通暇ですよね。
何しようかなという、私も別に何業をやるというわけ、そう思ったわけじゃないので、例えば、リサイクルショップやるとか、今ならITで独立するとかね、皆さん思うじゃないですか。でも、当時は、20年くらい前って、そんなもの何もなかった、ただ漠然と、代表取締役の名刺が持ちたいというミーハーな考えしかなかったので。
よく、夜中に近くの公園行って夜空を見上げていた?
今でこそ、いろんなネットがあるので、交流会って、よく盛んですよね。でも、当時は何もないし、情報もないので、そこをなんとか探して、やっぱり交流会出ていました。名刺をとにかく集めに集めて、ポイントは何かというと、その先ですよね、その先どうしたかというと、名刺貰った社長さんたちには、何やったかというと、必ず会いに行っていたんですね。会いに。
行くと。別に売り込むものも何もないので、何をしたかと言うと、相手の商品、サービスの話を聞くということをやっていたんですよ。要は、傾聴していたんです。ずっと。もともと私は金融上がりなので、いろんなそういう物販のものだとか、その金融じゃないサービスというのは、結構もの珍しかったんですよ。こんな面白いことあるんだ、こんなことあるんだってやっていくうちに、この商品面白いなって、ふと思う瞬間があって、そのときに相手の社長にこう聞くんですよね。
「社長、これ僕、売ってみていいですか」って、営業マンなので、そうすると向こうが驚いたかのように、「何それ、別に売ってきていいけどさ」、「売ったらいくらくれますか」ってやるんですね。こうこうこうだよって教えてもらって、分かりました、じゃあ、売ってきますって。
でも、売るにおいて、法人営業ということは、当然、僕は証券会社なので頭に入っているし、名刺がないとできないので、それも分かっていますので、「じゃあ、売ってきます、社長、必要なものがあるので作ってくれますか」、「いいよ、なんですか」、「名刺を作ってください、僕の」、そこの社長の会社の名刺を作ってもらうんですよ。
実際それをいろんな法人さんに売り歩いてやっていたという、大きいところだと、僕一人で都内の百貨店6社、口座ぶち開けて、一人で15店舗見ていましたから、百貨店に。
マンションとフェラーリが買えるほどの不良債権?
そうしたときに、僕は確実に営業で成果を上げて、口座を開き、物を卸したので、あれなんですけど、その仕入れ先ですよね。いわゆるね。その社長さんたちが経営難になってきて、僕に助けを求めるようになってきたんですよ。助けをですね。
その助けは何かというと、「ちょっとお金の工面できないか」という助けを僕に求めてくるんですね。まだ20代の私に。40、50、60の社長さんたちが、はい。当然、そのときは、お世話になった社長さんなのでね、もちろんそこが潰れてしまっては、仕入れがなくなるのもあるので、当時は、持ち前の正義感があったので、今でもありますけど、貢献力もあったので、全然一つ返事で、「社長が困っているなら大丈夫です」みたいな、一つ返事で僕は対応するんですね。
そこが私のまだうぶなところですね。そういったのが、数が多くなり、もちろん関わる会社も多かったので、10社くらいあったんですけど、でも気付くと、マンションとフェラーリが買えるほどの不良債権になっていたという。なってしまったという。
これリアルな話で、それ一人じゃなくて、10人くらいいたので。くらい、当時は人を恨み、憎み、もうその塊だったんですね。そういう恨みつらみ、憎しみの精神状態のなか、自己破産するかしないかという、そういうとき、あと余分な話すれば、ちょうどそのころは、自分の父は、もうガンになり、大手術をするとか、しないとか、そういったこともプラス、合わせしながら、なんでしょうね、なんのための東京に来たのかなと、借金を作りに来たのかと思うくらい駄目なときでしたね。
復活劇のキッカケは、1人の先輩?
全然親身じゃないなって、相談しようと思っても、だから、結果相談できないで、一人で抱え、苦しむなかで、唯一前職、証券会社時代の先輩に唯一相談したんですよね。そこからですね。
そこのとこの業務が、僕のやっている販売促進活動と隣接的な業務だったので、それを教えてもらいに、丁稚奉公に行ったんですね、3ヶ月間。業務を新たに覚えて、サービスを覚えて、また東京に戻り、一から顧客づくりをして、だんだん変わっていくという。
ありがとう-ハガキからはじまるお客様ファンづくりと人財育成!/後編
株式会社ヤマトソリューションズsince2003 代表取締役 田村功晟(たむら かつまさ) “ありがとうハガキ”ドットコム運営代表 『たったランチ1回分のコストで、一人のお客様を 1 年間フォローすることができ、 既存客フォロー完全自動化を実現し、同時に自立した人財育成にもなってしまう方法』で“会社営業力”を強化し、“ありがとう経営”の推進を行い、年間 100 万件を超える日本一の手書き宛名書き代行会社の経営を行っている。 『ありがとうハガキドットコムサービス』を運営。 |