【IDEAストーリー】第14回:ありがとう-ハガキからはじまるお客様ファンづくりと人財育成!

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こんにちは。イデア・クリエイションの松本泰二です。
IDEAストーリー

起業家のストーリーを追体験してもらおうという無料のインタビューサイトです。

このサイトでは、これから起業に興味のある方に向けて、成長のサービスを展開されている方、面白いサービス、商品を出されている方、各分野の実績を出されている専門家の方々にインタビューということで、各スペシャリストの方にお話を伺ってしまおうというような内容で、毎週お届けしています。

 

本日のIDEAストーリー。ゲストは、株式会社ヤマトソリ ューションズ 代表取締役社長 田村功晟さんです。田村さん、宜しくお願い致します。

田村社長
よろしくお願いします。

 

どういった事業をされているのか、自己紹介をお願いします。

田村社長
ありがとうハガキ.comサービスというサービスを行っています。これは何かというと、ずばり、手書きで宛名 を書く、手書きの宛名書き代行業務となっています。

普通、ハガキとか、封筒に皆さんはプリンターでダイレクトに印字したり、宛名シート貼ったりするかと思うんですけども、そこをわざわざ手間暇かけて、相手のお名前、住所、会社名と、メッセージと、あえて、手で書いて、相手に温もりを伝えるという、そういう宛名書きの代行を、業務をやっています。

 

松本
これは主に、お客さんというのは、法人の方ですか。
田村社長
基本、法人の方が多いですね。

 

松本
マーケティング手法の一種?
田村社長
そうですね。この、ありがとうハガキ.comサービスの意図、目的というのがあるんですけども、それは何かと いうと、一つは皆さまの経営基盤の強化と、人材育成という、この2大テーマがあって、この、ありがとうハガキ.com サービスを提供しています。

 

松本
今までどれくらいの実績がありますか?月間とか、年間で。
田村社長
宛名書きという業務に関しては、今、年間約100万件ほどの業務を行っています。

 

松本
どういうお客さんの声がありますか?
田村社長
だいたいお客様は、まずは、一つは、店舗のあるお客様がそうですね。よくあるのは、美容室さん、エステ業 務、あと、高級なレストランさんとか、自動車販売系等ありますけども、意外なところでは、お弁当屋さんから、雑貨屋さんから、そういったのも基本、リピート客を欲しいというお客様は業種業界問わず、会社の規模問わず行いますし、あと、無店舗販売、いわゆる、営業会社さん等は、お客様のフォローアップということで、新規の営業、名刺交換した人とか、展示会で名刺が集まった方とか、そういった企業さんはよくご利用になります。

 

松本
特に、業種は関係なく、お勧めがあるとか、あまりなしで。
田村社長
ないですね。はい。

 

松本
あの人にちょっと送りたいってなったら、1枚からとかでも対応してくれる?
田村社長
1枚からでも対応できます。
松本
単価ってどれくらいなんですか?
田村社長
法人宛が125円、個人宛が85円でやっています。
松本
手書き、結構最近皆さん、パソコンとか多いじゃないですか。だから、手書きが下手だからどうしようとか、書くのが面倒くさいとか、結構思っている人っていると思うんですけど、手書きは良さそうだなと思っていても、そういうのがあるような気がするんですけど、そういうのもありますか?
田村社長
本来、皆さんご自分で書けばいいんですよね。よく気にされるのは、自分は字があまりうまくないからとか、書くのが苦手という方いらっしゃいますけど、私が提唱する、ありがとうハガキっていうのは、字が下手なのは大歓迎という、そういう字のうまさを問うものではないので、全然字の下手な方でも別に自分で書いて実践されることは、ほんとにお勧めします。

 

松本
ハガキ出して、その後のアプローチ方法、お客様がアプローチ方法、そういうのもフォローとかやってくれたりするんですか?
田村社長
そうですね。私、業務実務としては、宛名書きの代行業務をやっていますけども、私自身は、クライアントの商品、サービスの話を、たった5分聞くだけで、最適な営業手順のアイデアがメラメラと出てくるんですね。

 

松本
すごいですね。
田村社長
なので、ありがとうハガキサービスをベースにした、クライアントの最適な営業手順の校正まで業務フロー構築まで実はできてしまうんですね。

 

松本
それは今までの営業経験で培ってきたものから閃きがポンポンポンポン出てくる?
田村社長
営業経験もありますし、大きくはアウトソーシング業務というのを長くやっているので、私の目の前をいろんな案件とか、いろんな相談を受けて、実績を積むうちに私自身がそういう体質になってしまっているという。

 

松本
こういった、ありがとうハガキ、そのライフタイムバリューを最大化していくための施策として、そのCRMへの取り組みの一つとして、ありがとうハガキというのは、素晴らしいパワーがある。パワーのある魔法のツールではないかということなんですよね。
田村社長
その通りです。

 

半年近く成績0で最下位?

松本
こういったサービスを展開していった背景というのもお伺いしていきたいんですけど、スタートしたのはいつ頃になるんでしょうか?
田村社長
独立そのものは20年前です。
松本
大学卒業して就職とかですか?
田村社長
大学卒業して就職しました。

 

松本
何をやられていたんですか?
田村社長
最初に働いた会社は証券会社でした。

 

松本
営業とかですか?
田村社長
営業です。

 

松本
結構、成績も良かった?
田村社長
当初は、駄目でしたね。

 

松本
そうなんですね。
田村社長
大手上場企業だったので、名のある大学は全部ありますし、私はもう最下位、学校のランクで言えば、最下位だったので、やっぱり頭のいいね、証券会社なので、頭のいい、そういう人しかなかなか成果が出ないのかなって思っていましたね。なので、全然、営業というのは、全然、同期で一番最後だったと思いますよ。お客様ができるのは。

 

松本
それは何ヶ月くらいですか。何ヶ月、何年?
田村社長
いやもう、半年近くは、もう丸が続くという。丸というのは、0ということですね。

 

松本
他の人は同期はみんな。
田村社長
いわゆる、初商いというのがあるんですけどね。そういうのをボンボンボンボン出していく、そんな状況でしたね。

 

接触頻度を増やす構造


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松本
何かきっかけがあったんですか?成績が取れるようになっていった。
田村社長
私は田舎のほうの、地方支店にいたので、都心の方に比べて、やっぱり営業できる件数も物理的に限られてくるんですよね。都心部の方は、1日に飛び込み訪問、100件できますけど、私できない、そもそも、そんなないですから会社さん自体が。

なので、そういったハンディというか、背負い。あとは、そんなに学校のランクで言えば、頭のいいのでもなかったので、そういう経営知識とかも、あまりいいほうじゃなかったんですよね。多分、正直。最低限はあったとしても、他の多分、同期のほうが、頭が賢いので、金融知識は豊富だと思うんですけど、そういう知識もないまま活動していくんですけど、たった一つだけ徹底したことがあったんですね。

 

松本
それは?
田村社長
それは、接触回数を増やすということです。

 

松本
接触回数を増やす。
田村社長
そうです。

 

松本
それは、そうしたほうがいいんじゃないかなというのを思ったんですか?
田村社長
多分それは、当時はそんなことは考えてやっているわけじゃなくて、たまたま多分、物理的というか、地形がそうしたんでしょうけど、あたる先がないので、結果的に接触頻度が増えてくはめになってしまったみたいな、都心部の人はたくさん、ほら次だ、次だ、次だって、アタックできますけど、私そもそも次々と行けないんですよね。田舎の支店なので。結果的に接触頻度を増やす構造を自然と取っていたというのが、正直な話だと思います。

 

松本
接触頻度が増えることによって、お客様の反応が変わっていったみたいな?気付きがあったというか。
田村社長
そうですね。

 

松本
それで成績もちょっとついてきた?

 

田村社長
そういうことですね。よくビジネスは信頼関係だとおっしゃいますよね。じゃあ、その信頼関係ってどうやって作るんですかということですよね。いい提案をしたら信頼関係ができるんですか?、そうとも限らないと思うんですよね。約束を守ったらとかね、いろんなきっかけで信頼ってあるのかもしれないけど、でも、それらの方法というのは、どの人にもできるわけじゃないですよね。

Aさんには素晴らしい提案ができて、信頼関係ができるかもしれないけども、Bさんにはできないかもしれないですよね。そうすると、万能じゃないですよね。でも、万能で、信頼関係を築く方法をたまたまやっていたというか、気付いてしまったという、それが何かというと、接触頻度を上げるということです。

 

松本
それはやっている途中で、接触頻度上げれば、お客様の反応も変わってきたなというのは、だんだん気付いていったんですか?
田村社長
いや、当時はまだそこまで気付いていないです。

 

松本
後から考えたら、そうだったということですか?
田村社長
後から考えて、今になって思うと、そういうことだったのかっていう感じ。当時は、そこまでまだまだ、うぶなころなので、20代で、まだまだそこまでマーケティングのこととか、ましてや、20年以上前の話なので、まだまだ、そう考えてはいないですけども、取っていた行動が結果的に信頼を築くことになっていたんですね。

 

600人の中でNO,1 

松本
それで成績も結構いい感じだったんですか?
田村社長
接触頻度を重ねるので、やっぱり重ねる度にパイプが太くなる。これは人間の本質的な問題ですよね。

何回も会えば、人は心を開いてくるということが出てくるので、そういういわゆる、種まきを半年間、お客さんできませんでしたけど、種まきを結果的にまいていたんですよね。太くしながらも、それがやはりキャンペーンの時期になると、一気に炸裂するわけですよ。パンパンパーンって、あれよ、あれよという間に、地方支店でありながらも、顧客づくりでナンバー1取るんですね。

 

松本
ナンバー1。ナンバー1というのは、地方の支店でということですか?
田村社長
同期のなかで、同期って、でも、600人いますけど。

 

松本
600人で、ナンバー1。
田村社長
ナンバー1になったと、そういうふうになっていたんですね。都市部の支店を抑え、ナンバー1になるという。

 

松本
都心から来たんじゃないですか。どうやっているんだみたいな。そういうのはないんですか。もしくは、こっちが研修で呼ばれるみたいな?
田村社長
呼ばれますよ。表彰では。本社来いということで、東京呼ばれますけど。

 

松本
そういうのはないんですか?
田村社長
その辺のところは多分、上のマネージャーがやっていると思います。

 

松本
なるほど、それをどれくらいやられていたんですか?
田村社長
それを約3年、証券会社で営業をしていました。

 

松本
3年経って、独立ですか?
田村社長
そうですね。

 

働いていた会社が経営破綻?

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松本
起業のきっかけみたいなのあったんですか?もともと興味があったんですか?

 

田村社長
もちろん、もともと起業に興味がありましたし、証券会社で相手にするお客さんというのは、基本的に中小企業の社長さんなので、経営者さんと話すことが、もちろん慣れているというのもありましたし。あとそもそも論は、働いていた会社が経営破綻したというのもありますし。

いろんなことが重なって、独立しましたね。一番は、大手企業で、営業していたというプライドはありましたけど、もっと世の中には楽しいことがたくさんあるなと思いながら営業していたので、それをいろんな機会が重なって、独立というかたちで、1回もっと楽しいことをやってみようということで独立しましたね。

 

松本
破たんもきっかけ。
田村社長
いろんなことが重なって。

 

松本
証券で破たんと言ったら、例のあれですよね。
田村社長
例のあれですね。

 

松本
それは何歳くらいですか、独立されたのは?
田村社長
会社の法人作ったのは、28ですね。

 

松本
28歳。あまりしっかり準備をされてから辞めたというふうな感じではなかったわけですかね?
田村社長
当初まだ、今は1円でも会社作れますけど、当時まだ有限会社300万、株式会社1,000万というお金がいるので、会社、法人登記をしようと思った時点では、まだ貯蓄が0なので、準備と言えば、フリー営業していて、ほんとにガチです。資本金300万作ったというのはあります。

 

独立資金ゼロでのスタート?

松本
証券会社辞めた段階では、資金もなかったということですか?
田村社長
0です。0です。

 

松本
結構やばかったという状況ですか?
田村社長
やばいですね。

 

松本
結婚はされていたんですか?
田村社長
まだそのときはしていないですね。

 

松本
でも、独身でも0だとやばいですよね。
田村社長
そうですね。

 

松本
どんな心境だったんですか。そのとき。メンタル的に?
田村社長
ほんとに、動いていないと不安に陥りますよね。この先どうなるんだろうって、でも、動き出していると、起業で僕の経験を言えば、動いていないと5メートル先が闇なんですね。

明日どうなるんだろう、来月どうなるんだろう、5メートル先が闇なんですけど、でも、えいって、よしって言って、重い腰を上げて動き出すと、1メートル動くと、5メートル先が、また視野が見えてくるんですよ。左行けと言われるんですよ。左行きますよね。左行くと、また視野が見えてくるんですよ。5メートル先が。そうすると、右行けと言われる。分かったって、右へ行くんですよ。その繰り返しなんですよ。動くとドンドンドンドン先が見えてくるんですよね。

 

松本
当時は、動いていたわけですね?
田村社長
動いていました。とにかく動く。

 

松本
動かなきゃ、しょうがないですもんね。0なわけですもんね。フリーで法人の営業ですか?
田村社長
法人の営業です。

 

松本
それを何を売っていたんですか?
田村社長
当時は、起業のところの話をしましょうか。よく起業するときに、あれがないと駄目だとか、特にお金がないと駄目だとか、人脈がないと駄目だとか、ああだこうだってあったりするんですけど、僕の独立起業法というのは、0円からできるというのを自分で思っているんですよね。

実際そうやってきたので、最初に話した通り、私は地方支店だったので、実はなんと独立のときは東京にいたんですね。なので、東京に身一つで来たときは、正直言って、ご飯食べる友達もいなかったという。

 

もちろん前職の同期、友人等はいましたけども、でも、基本所詮、僕は地方支店なので、あまり交流もないんですね。結果ご飯食べる友達もいなかったんですけど、独立方法を言うと、最初独立すると、皆さん、普通暇ですよね。

何しようかなという、私も別に何業をやるというわけ、そう思ったわけじゃないので、例えば、リサイクルショップやるとか、今ならITで独立するとかね、皆さん思うじゃないですか。でも、当時は、20年くらい前って、そんなもの何もなかった、ただ漠然と、代表取締役の名刺が持ちたいというミーハーな考えしかなかったので。

 

よく、夜中に近くの公園行って夜空を見上げていた?

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松本
最近だと、最初はホームページ作るみたいなありますけどね。20年まだと。
田村社長
何もないですし、志も何もないですし、理念もないし、何もないって、ただ、社長の名刺を持てるかなという、そのくらいの伸びしかない、伸びしかないので、だから、よく近くの公園、夜中に近くの公園行って、夜空を見上げていたという。

 

松本
そんなときがあった?
田村社長
ありました。何をするべき分からなかった。

 

松本
それ何考えていたんですか。その時間?
田村社長
ほんとに寝れないので、何したらいいんだろうって、ほんとによく夜中、公園のベンチに寝て、空を見上げて、ほんとの話なんですよね。そこでどういう打開策するかというと、最初暇なので、まず一つ目、何をやるかというと、まず忙しくするということなんですよ。

今でこそ、いろんなネットがあるので、交流会って、よく盛んですよね。でも、当時は何もないし、情報もないので、そこをなんとか探して、やっぱり交流会出ていました。名刺をとにかく集めに集めて、ポイントは何かというと、その先ですよね、その先どうしたかというと、名刺貰った社長さんたちには、何やったかというと、必ず会いに行っていたんですね。会いに。

 

松本
後日?
田村社長
後日会いに、アポを取って、会いに行くということを、ほとんどの会社にやっていたんですね。いろんな会社を回っていくなかで。

 

松本
それはどういう体で会いに?
田村社長
先日はありがとうございました。遊びに行っていいですかという、まだまだ若いですからね、まだ20代ですか ら、相手はほんとに、40以上、50、60という方々が多いので、そういう法人、社長さんに会いに行くのは、証券会社で慣れているので、行きますよね、別に株の話するわけじゃないですけど、行くのは慣れているので行きますよね。 

行くと。別に売り込むものも何もないので、何をしたかと言うと、相手の商品、サービスの話を聞くということをやっていたんですよ。要は、傾聴していたんです。ずっと。もともと私は金融上がりなので、いろんなそういう物販のものだとか、その金融じゃないサービスというのは、結構もの珍しかったんですよ。こんな面白いことあるんだ、こんなことあるんだってやっていくうちに、この商品面白いなって、ふと思う瞬間があって、そのときに相手の社長にこう聞くんですよね。

 

「社長、これ僕、売ってみていいですか」って、営業マンなので、そうすると向こうが驚いたかのように、「何それ、別に売ってきていいけどさ」、「売ったらいくらくれますか」ってやるんですね。こうこうこうだよって教えてもらって、分かりました、じゃあ、売ってきますって。

でも、売るにおいて、法人営業ということは、当然、僕は証券会社なので頭に入っているし、名刺がないとできないので、それも分かっていますので、「じゃあ、売ってきます、社長、必要なものがあるので作ってくれますか」、「いいよ、なんですか」、「名刺を作ってください、僕の」、そこの社長の会社の名刺を作ってもらうんですよ。

 

松本
社員としてという感じですね。
田村社長
表向きは、それをA社、B社、C社、D社って、10社くらいやったんですよ。だから、営業マン10社の営業マンやっていたんですよ。

 

松本
扱う商品は?
田村社長
いろいろ。

 

松本
いろいろですよね。法人向け、個人向け。
田村社長
いろいろなんです。ですけど、でも、基本的に販売も個人というよりかは、BtoBの法人に卸しをするので、だんだんと、10社も絡んでいると、卸し先が重なってくるんですよね。どうしても都合悪いですよね。なので、じゃあ、いよいよと、自分の法人格くを立てて、窓口を1本にしてやらないと、取引するには、法人格いるというのは分かっていたので、それで、そういうフリーで営業、今でいう営業代行やっていたんですね。

 

松本
それはでも、営業代行はちゃんと売れていたという、そこで稼いだという、資金を作ったということですよね。
田村社長
そうです。僕はそのときに、元金融マンの僕が、いろんなそういう物販とか、もの珍しいなか、じゃあ、これをどうやって売るんだろうかということを考えるようになるんですね。だから、いろんな商材を見ては、考える癖がついているので、今でいう、アイデアがベラベラ出てきているというのは、そこから出てきているんですよね。

実際それをいろんな法人さんに売り歩いてやっていたという、大きいところだと、僕一人で都内の百貨店6社、口座ぶち開けて、一人で15店舗見ていましたから、百貨店に。

 

松本
それを一人でやっていたんですもんね。
田村社長
一人でやっていたので、全部一人で、百貨店に営業行って、バイヤーと窓口作って、口座作って、ばーっとやっていたので、百貨店初めいろんな今でいうと、量販店さん、ドラックストアさん、卸ししていたんですよね。

 

松本
それ10個とか商品扱うじゃないですか。みんな商品違うじゃないですか。商品によって、営業トークって変わるじゃないですか?
田村社長
変わります。

 

松本
変わりますよね。そこはもう、1個1個、勉強していったという感じなんですか。
田村社長
1個、1個、勉強、そうですね。勉強しますよ。やっぱり最初、アポイント取ることとか、商品説明をするので、それは勉強しましたね。

 

松本
それは大変そうだなって。
田村社長
そうやって、法人格を作って、いわゆる、雑貨の卸し、もっと言うと、ノベルティの販売みたいなことをやったんですね。

 

松本
それで資金作って、会社を。
田村社長
そうですね。フリーで営業代行やっているときに資金を作り、その後、自分の会社、法人格を立て、窓口を1本にして、卸ししていたという。

 

松本
そこからは、ありがとう.comができるまで何年ぐらいですか?
田村社長
10年くらい経っていると思います。

 

マンションとフェラーリが買えるほどの不良債権?

松本
そのなかで何か、失敗したこととか、大変だったこととか、何かありますか?
田村社長
当初、独立、起業して、法人格も作り、見事ね、300万、資本金300万も現金作り、大手さんとかの口座も開設しながら、大儲けをしているわけじゃないですけども、着実にやっていくなかで、逆境になっていったことがあるんですけど、それは何かというと、そういうお世話になったときの社長さんたちが経営難になってきたんですよ。もちろん僕が売りに歩いていますけども、それでもやっぱり経営難になってくるんですよね。

そうしたときに、僕は確実に営業で成果を上げて、口座を開き、物を卸したので、あれなんですけど、その仕入れ先ですよね。いわゆるね。その社長さんたちが経営難になってきて、僕に助けを求めるようになってきたんですよ。助けをですね。

 

その助けは何かというと、「ちょっとお金の工面できないか」という助けを僕に求めてくるんですね。まだ20代の私に。40、50、60の社長さんたちが、はい。当然、そのときは、お世話になった社長さんなのでね、もちろんそこが潰れてしまっては、仕入れがなくなるのもあるので、当時は、持ち前の正義感があったので、今でもありますけど、貢献力もあったので、全然一つ返事で、「社長が困っているなら大丈夫です」みたいな、一つ返事で僕は対応するんですね。

そこが私のまだうぶなところですね。そういったのが、数が多くなり、もちろん関わる会社も多かったので、10社くらいあったんですけど、でも気付くと、マンションとフェラーリが買えるほどの不良債権になっていたという。なってしまったという。

 

松本
それは貸したお金が10社以上?
田村社長
そうです。僕がフェラーリ買ったんじゃないんですよ。マンションも。

 

松本
すごいですね。人が良すぎる。
田村社長
人が良すぎたんですね。不良債権を抱えて、会社を潰して、自己破産するか、自殺するかみたいな。

 

松本
返っては?
田村社長
返ってこないですよ。不良債権なので、もう、いまだに返ってこないですよ。もちろん、そういうほんと、死ぬか生きるかみたいな、自己破産しようかみたいな、そういう極地までいきましたね。

 

松本
それ何歳くらいのときですか?
田村社長
ジャスト30ですね。

 

松本
これ聞いていいのか分からないんですけど、その社長たちとは、まだ付き合いあるんですか?
田村社長
ありません。

 

松本
ないですか。その時点で。
田村社長
はい。だから、別に私が大儲けしてだぶついているお金を融通したわけではなくて、自分の生活費を削りながら、もっと言うと、お金は僕自身が借金しながら助けていたというくらいまでやっていたので、だから、ひどかったですね。

 

松本
ひどいですね。
田村社長
ひどいですね。にも関わらず、その社長さんたちは、私に、ありがとうの一言もなく、姿を消していくわけですよ。そこで私は、ほんとにこのインタビューで言っていいか分からないですけど、目の前に拳銃があったら、多分やっていたと思いますよ。

これリアルな話で、それ一人じゃなくて、10人くらいいたので。くらい、当時は人を恨み、憎み、もうその塊だったんですね。そういう恨みつらみ、憎しみの精神状態のなか、自己破産するかしないかという、そういうとき、あと余分な話すれば、ちょうどそのころは、自分の父は、もうガンになり、大手術をするとか、しないとか、そういったこともプラス、合わせしながら、なんでしょうね、なんのための東京に来たのかなと、借金を作りに来たのかと思うくらい駄目なときでしたね。

 

復活劇のキッカケは、1人の先輩?

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松本
そんな時代があったと。じゃあ、そこから復活劇が始まるわけですよね?
田村社長
そうですね。

 

松本
それはどういう?
田村社長
私という人間は基本的に、人にあまり相談できないんですよ。

 

松本
そうなんですか?
田村社長
僕自身は、相談したいって心の底では思っているんですけど、中途半端に聞く人には、腹割らないんです。

 

松本
そういうことですね。
田村社長
ほんとに親身になってくれる人じゃないと、腹割らないので、私自身は相手のことを親身になるたちなので、だから、こうなっちゃったんですけど、親身になりすぎちゃって、こうなっちゃったんですけど、だから、比べちゃうんですよね。

全然親身じゃないなって、相談しようと思っても、だから、結果相談できないで、一人で抱え、苦しむなかで、唯一前職、証券会社時代の先輩に唯一相談したんですよね。そこからですね。

 

松本
それは仲良かった先輩?
田村社長
ほんとに一番、信頼をして、僕も信頼していた先輩なので、唯一、最後の最後くらいに、唯一相談して、そこから変わっていくというんですね。

 

松本
なんかヒントを貰ったんですか?
田村社長
相談して、結局、まだ年もまだ、当時だったら、昔のね、前職の看板背負っていれば、まだ転職もできるし、転職もしかも別に、そういう安い報酬のところではなくて、年俸の高いところに転職する可能性もあったので、借金ぐるぐるのまま、会社閉めて、自己破産して、サラリーマン戻るか、または、なんとか、会社を維持して、このままいくかって、岐路に立ちますよね。そこで思ったのは、基本、僕は営業マンなので、ちょっと待てよと、営業というのは、社長であろうが、一サラリーマンで営業しようが、どっちも大変なんだと、そう思いません?

 

松本
そうですね。
田村社長
どっちも大変なんだと、社長だから楽ということはないですよね。なので、どうせ大変なら、リターンが大きいほうがいいということなので、やっぱり会社を続けることを選択し、そこで経営決断をしたときに、今の自分の商品、サービスでは、らちが明かないので、その先輩、当時、先輩は当然、前職もないので、違うところに転職していたんですよね。

そこのとこの業務が、僕のやっている販売促進活動と隣接的な業務だったので、それを教えてもらいに、丁稚奉公に行ったんですね、3ヶ月間。業務を新たに覚えて、サービスを覚えて、また東京に戻り、一から顧客づくりをして、だんだん変わっていくという。

 

松本
顧客づくりというのは、それは。今までとは違うものを扱っていたんですか?
田村社長
違います。

 

松本
そこから、じゃあ、変わっていったと?
田村社長
そうですね。

 

ありがとう-ハガキからはじまるお客様ファンづくりと人財育成!/後編

 

 

株式会社ヤマトソリューションズsince2003 代表取締役 田村功晟(たむら かつまさ)
◎自立型人財育成セルフマネジメント認定インストラクター
◎原田メソッド「人財育成認定パートナー(認定講師)」
◎ICM・ECM「理想の職場作り指導認定講師=ICMデザイナー」

“ありがとうハガキ”ドットコム運営代表
リピート顧客創造の達人

『たったランチ1回分のコストで、一人のお客様を 1 年間フォローすることができ、 既存客フォロー完全自動化を実現し、同時に自立した人財育成にもなってしまう方法』で“会社営業力”を強化し、“ありがとう経営”の推進を行い、年間 100 万件を超える日本一の手書き宛名書き代行会社の経営を行っている。

『ありがとうハガキドットコムサービス』を運営。
日本一の宛名手書き代行業務を通じて、年間 100 万件もの「ありがとう」を届け伝えるサポートをし、『経営基盤の強化』&『人財育成』をモットーに販売促進と自立型人財育成の支援を行って各企業のお客様とスタッフさんに幸福感を広める活動をしている。